人間は99.99%くらい正当化している。
2023.12.7
思考(脳・マインド・エゴ)って即座に正当化するんです。肉体を維持する(死なないようにする)為の生存本能の働きって超優秀で、自分で正当化しているなんて思いもしないくらいナチュラルに、そしてスピーディに行われます。
正当化している間は、自分自身を欺いているので即ち外側の自分と内側の自分が分離している状態・・・もれなく荒れた現実を描写することになります。
昔わたしはずーーーっと、子供を親から解放”させる”ことがイイコトだと思っていました。元になっているのは自分が親に縛”られていた”から、という思い込みです。だから高校を卒業したら家を出て自活させることを目標に子育てをしていました。実際子供たちにも小さい頃から念仏のように言い聞かせて。
でもこれ実は全部正当化。
本音は「私が親を嫌ったように、私も子供達から嫌われたらどうしよう」でした。
私の中では離れられる=嫌われているという観念があり、子供の方から離れていかれると耐えられないくらい痛い。
なら私の方から離れましょ
それだと嫌われたことにならないから痛くないもん
という信念からの行動だなんて気付いた時にビックリしました。
自分の正当化に気付いた時に噴き上げたのは罪悪感でした。本当はもっと甘やかしたかった。本当はもっと幸せにしたかった。しょうもない信念の”せい”で子供達へ必要以上に厳しくしてしまった自分を責めました。多分この罪悪感を感じることも怖かったんじゃないかなぁ、と今は思います。
もう何年も前のことなので随分と記憶が薄れてますが。
そこを受容してから・・・子供達との関係性が心地いいものに変わりました。両親に対しても変わりました。この頃すでに彼らを等身大で観れるようになっていましたが、最後の燃えカスのようなモノが溶け切った気がします。
自分の内側から来る痛みって死んじゃうくらい痛い、とエゴは思い込んいますが実際感じても死にません。それどころかそれが”在る”と認めた瞬間、たとえようもない安心感に包まれます。多分本当の安心って、自己統合でしか得られないんじゃないかなぁ。立派なお家や車や服・バッグ、仕事や地位や名誉やパートナーでは自分を満たすことが出来ないから。
「何を食べても太らなくなりました」
2023.12.6
本来の自分と繋がると、その人にとってちょうどいい体重・体型になるようです。そして本来の自分と繋がるには温かい体が必須。
昨日は体重の話題が多い一日でした。朝一番のお客様はナント毎日足湯を続け出してから”そんなにお腹が空いていないのに何か食べちゃう”習慣がピタリととまり、ちゃんとお腹が空いて「自分が今何を食べたいのか?」と考えられるようになったそうで、好きなモノを食べているのに気づけば体重が落ちていたとのこと。
なにが一番感動したかと言うと、体重は正直ただの数字なのでどうでもいいのですが、そのお客様の「最近なんか楽しい」という言葉と生き生きしたご様子にこちらまで嬉しくなりました♪痩せたけど辛い、だとナンカチガウと思うので。
幸せな時って体は温かく
幸せでない時って体は冷たい
(幸せは主観ですが)
ので!体を温めると脳が「幸せなんだ!」と錯覚します。ちなみに脳は自分と他者の区別がつきません。本当に単純な仕組みなので、それを利用すると簡単に闇から抜け出せます。
今この瞬間の状態が次の瞬間を創るので、今幸せなら次の瞬間も幸せ。今安心なら次の瞬間も安心がやってきます。未来は”今”の積み重ねです。
「私は今、何が食べたい?」と自分に聞いてそれを叶えるという簡単なことから、本来の自分と繋がることが出来ますが、その前に体が冷えていると”自分に聞く”が難しい。だいたい冷えている時って考えが狭くなっていて「太らないようにカロリーが低いものを」とか「体にイイモノを」とか思いつくので・・・。20年間摂食障害だった私が言うんだ、まちがいない(よもぎ蒸しで治ったんです)ということでご自宅での足湯、おすすめです。面倒くさい人は蓬屋へどうぞ♪内臓から温めますよ~!
めちゃ笑った話。
2023.12.5
先月和尚さんと末娘と3人で中津のバルンバルンの森へキャンプへ行ってきました。とっても可愛い世界観のキャンプ場で、どこを見ても絵になる風景に胸が躍りっぱなしでした。
泊まった翌朝のことです。私達のテントサイトは駐車場まで数十メートル離れています。荷物をまとめ終えた時に和尚さんが娘に「車を取りに行くから、一緒に荷物持って来て」と言いました。
え?車を取って来るなら荷物持って行く必要なくない??と瞬時に思いましたが、娘は「はーい」と快諾して両手に持てるだけ持ち既に歩きだしています。
えええ????誰も、なんも、疑問に思わんの???父と娘で両手いっぱいに荷物を持って行く姿が平和過ぎて笑いが止まりませんでした。
多分以前の私なら「効率悪い」などと言っていたと思います。それも威張り散らして(笑)ほのぼの劇場の登場人物になれた気がして嬉しい出来事でした。
※バルンバルンの森は絵本の世界を創りたい想いから出来たキャンプ場だそうです。帰り際に寄った場内のカフェでオーナーさんがお話ししてくださいました^^
言葉に出すと解る。
2023.12.4
言葉はエネルギーを固める性質があり、それも脳内ではなく口に出すことで威力を発揮するようです。
数年前「わたしは私から愛されている」というアファメーションを日に何十回も唱えていた時期のある日、とてつもない怒りがこみ上げてきました。その言葉は1年以上も唱えていてすっかり習慣化されているというのに、です。
「”私”から愛されたところでどうなん!?いちばん大切な人から愛されてない、大事にされないのに意味ないやん!!」
いくら”わたしは私から愛されている”と唱えた所で、”わたしが愛してほしい人からは愛されない”という現実が続いている(という私の認知)としか思えなかったので、悲しくて虚しくて涙がボロボロでてきました。
わたしは私から愛されているとかどうでもいい!
欲しいのは大切な人から愛されることなんよ!!
いくら頑張っても寂しいは消えんし、生きるの面倒くさいのも消えないやん・・・
事実、ほんとうに半日泣き続けました。泣きながらもどこか冷静で、わいてくる想いをいちいち俯瞰して受容という作業も続けるうちに、ポコンと生まれたのはある感情です。
「今わたしは大人だけど、こんな耐え難い気持ちを小さい頃に持ってたんだ・・・ちっちゃい体とちっちゃい脳みそで・・・よくまぁ・・・」
文章にすると薄っぺらくなりますが、感謝というか、自分に対する敬意というか、胸がブワッと温かくなる感覚に別の涙がにじみました。
わたしは私から愛されているんだ、が理屈じゃなく理解できたというか。初めてその言葉と自分に摩擦がない状態になった感じがしました。
思ってもないことを口に出すと、瞬時に違和感が生じます。自分が醜いと思い込んでいると「わたしは美しい」が言えません。言えても棒読みや笑いながら誤魔化しながらしか言えません。それでも言い続けていると、自然とほんとうにそうなるか、言えば言う程「いや、言った所で実際違うし!」と摩擦が起こるか。この時の私にとって「頑張っても寂しいが消えない」「どうせ私は愛されない」気持ちは、エゴが一番気づかれたくない部分だったのでしょう。ギリギリまで隠し続けて大爆発して露見したという感じでした。
自分が言葉を発する時、ハートとズレがあるときは必ず違和感が生まれます。言葉はエネルギーを固める性質があるので、それを使えば自分の本心が簡単に解る。そして本心が解るとほんとうに心地が良い。肉体があるからこそ味わえる感覚。いくらでも自分で自分を楽しませることが出来ます。”誰か”も”何か”も実は無くて大丈夫なんです。あってもいいし、なくてもいい。あってもなくても、わたしという存在は何一つ揺るぎません。
焼きそばでドカンときたお客様。
2023.12.3
嬉しいご報告を頂きました。
お客様がご自宅で焼きそばを作っている時にご主人とのやりとりで”自分が今何を感じているか”を認知したら普段とは違う会話になったそうでビックリと嬉しいを感じた、と。
その後に何故かそれをご主人に伝えたくなり「さっきの嬉しかったよ」と素直に言ったところ、いつもならすぐ茶化すご主人が照れていて、素直になれた自分にも、ご主人の様子にも驚いたそうです。
そして「満たされた感覚があった」とのこと。ご主人の反応に「!!(現実を変えるって)ああこういうことか!!」と電気が走るというか、ドカーンと来る感じと安心感の両方を味わったようです。
「まさか焼きそばでドカーンと来るとは思ってませんでした・・・もっと何かこう大きな出来事があって理解するみたいなのだと思ってたので・・・まさか焼きそばで・・・」
と仰ってましたが、そうなんですよ。理解が降って来るのって本当に些細な事(宇宙からすると大きいも小さいもありませんが)で起きるんです。実はめっちゃ簡単。
というか、日常・この毎瞬が実は常にメッセージという。だから何が起きようが、どんな現実だろうが”手詰まり” ”もう終わりだ” ”打つ手がない”なんてことになりようが、ない。
常に扉は無数に用意されている。
なんなら今日の朝ごはんからでも自分を読み解ける。今の空の色からでも、今の呼吸からでも。それを受け取ればいくらでも現実を変える選択が出来ます。
さて、お互いの意見(正義)のぶつけ合いから、お互いの本音の会話になると本当に気持ちが良い関係性が築けます。どうぞ益々豊かで幸せなご夫婦に❤素敵なお話をありがとうございました!
目立つことが怖いのは。
2023.11.28
内観仲間とオンラインで話していた時のことです。”ダメとする自分”のことで盛り上がっているなか「小さい頃から”目立つのダメ”が私の中にある」と洩らしたところ「なんで目立っちゃだめなの?」と訊かれ
「だって怒られるから」
と答えたっきり頭が真っ白になるという体験をしました。
あれですよ。蓬屋で私の問いにお客様が固まる状態。そうか皆こうなってるんだ、うう、次からはもっとお客様に優しくなれる気がする・・・なんて想いも瞬時に沸きました。
ここ数年は何を訊かれても自分の感覚をボンボン口に出していたので、自分でもビックリ。そのあと他の話題にうつっても私は全く会話が頭に入ってこず『え、まっしろ』『なにこれなにこれ』を繰り返していました。思い切りエゴが抵抗してる!!
そして会合が終わった後一人でノートを使い内観したところ・・・出た出た出ました。
「だって目立ったら、能力が低いのバレるじゃん」
きゃー!!はずかしい!!なんこれ、そうやん、そう、これ、うん、いや、ほんとこれ。
⇧出た時の私の内側です。
もうね、肩の力が思い切り抜けましたよ。そう・・・小さい頃からとにかく「出来ないがバレるのが怖かった」んです。なぜなら”出来ない”が許されない家庭だったから。言われたことが一度で出来ないと体罰だった環境を自分で創り、何の恐れを隠していたかというと・・・。
本当は私、なんにも出来ないの。
これです。
今書いてても胸がキューっとなります。”なんにも出来ない私”だと怒られるから、必死で出来るように努力をしますが追いつかない部分も多々あります。そこで上手くなったのが
【出来るふり】
このスキルがものすごく上がりました。その場しのぎ・言い訳・取り繕い方・立ち回り方。でもこれだと注目を浴びたらバレてしまうかも・・・見抜かれてしまう・・・メッキがはがれてしまう・・・だから私の中で
目立つのはダメ
というルールが成立。
そして調子に乗るのもダメ。昔は調子に乗っている人を見ると恥ずかしくなって見ていられませんでした。いたたまれなくなるというか。「実力がないくせに」「身の程知らず」という想いが出るのは、自分がそうだから(親の言葉を真に受けてしました)
最近はそんな捉え方をしなくなったなぁと思った矢先だったので、恐れがそこに結びついていることにもビックリです。
本当に抜けたのでしょう。以前苦手だったユーチューバーさんが平気になりました。
自分が何かを恐れていて、その恐れを必死で回避しようとしている。生きている間に全部見つけたいなぁ。
心の内を出せる安心安全な場所。
2023.11.27
先週の土曜日にかねてより計画していたお茶会を開催しました。今回は蓬屋で講座を受けてくださった方限定でしたので
- 他人に言いたいことは自分に言いたいこと
- 誰もが”痛み”を持っている
この二つが共通認識である安心感から、会話が弾む弾む❀何を差し出しても受け入れられるって最高の喜びだと思います。私も皆様のお話を聞きながら、感情がたくさん動き、沸いてくる想いに「ああ、私はいまこんな風に感じているんだなぁ」と味わいながらお喋りを楽しみました。
終始感じていたのは「ああこの世界いいなー」という心地よさ。私の願う世界は「だれもがあるがままの自分で居て、心から安心で満たされた世界」なんですが、まさにそれが創られていて嬉しさがじわ~~~と”在る”感じ。いまでも続いています。だれも”寂しい”がない世界。寂しいが在ったら即座にそれを受容し、安心で満たされる世界。これは目一杯”寂しい”から逃れようともがいた私にしか創れない世界です。
※たとえ言葉では同じ”寂しい”だとしても、その人その人によって中身が違うので※
ご参加くださった皆様もそれぞれ心地よさを感じられたようで、本当に楽しい会となりました。素敵な時間をありがとうございました!
お写真撮るのを忘れたので、お茶会メンバーで共同購入をしたtotonoi Pizzaをパチリ。 スパイシーナスとビーツのピザ、最高でした。
最上寺開運セット完売です。
2023.11.27
先日発売開始した、年末年始特別企画の1つ”最上寺開運セット”が売り切れましたのでお知らせします。
50セット限定だったのであっという間でした。。。たくさんのお問い合わせもありがとうございました!
”福塩”の方はまだもう少しございますが、こちらも残り少ないのでご入用の方はお早めに。最上寺本堂と蓬屋店頭にてお求めいただけます。
どうぞよろしくお願い致します。
蓬屋の紅葉が見頃です。
2023.11.24
楽しみにしてくださっているお客様も多い、蓬屋の紅葉。私も毎朝毎夕色が変わる様子に連日感嘆の声を上げています。本当に美しくって!!!
ギンモクセイの奥のモミジは今が最盛。テラスに一番近い子はちょっとだけ色づいてきました。11月いっぱいは続くといいなぁ。
ご予約のお客様、どうぞお楽しみに♪
「蜷川さんは半分でも強いので」
2023.11.23
娘からりんご飴のオファーがあり初挑戦しました。ちょっとだけ飴を厚くして私好みに作ったところ娘も美味しい美味しいと喜んでくれ大成功!しかし私の銀歯が取れてしまい(^▽^;)さっそく歯医者さんに行きましたが作り替えないとどうにもならないとのこと。
そして先生から言われたのが「蜷川さんは嚙む力が相当強いんです。半分でも強いので、食べる時は少しの力でゆっくり噛んでください」でした。
なのでその日から四分の一(気持ちの上で)の力でお食事をしています。ホホホ。噛み方を変えて痛感したのが、これ人生そのものやん、です。生き方は全てに表れると言いますが、正にそれ。”優しく噛んで回数を増やす”を意識しだすと、あら?わたし食べてない時もギッッて噛んでいる・・・!と気が付けるようになりました。というかビックリしました。こんなに普段から力いっぱいだったなんて。
噛み方を変えて3週間ですが色んな人から「顔が柔和になった」「優し気になった」と言われます。えーえーそらそうでしょうよ。血気盛んの時から比べると四分の一の力で生きているんだもの(当社比)
ふしぎなことに、その方が100%の満足感に近づいている気がします。
全力で生きている時は渇望感ばかりだったのにね。
事実を事実として捉えると。
2023.11.18
私達って常に自分の主観で物事を捉えています。
主観で捉える=自分の解釈での脳内ドラマが始まる。この脳内ドラマを元にした行動はもれなく回避行動(自分の中の恐れ=痛みを回避する為の行動)です。
例えば
「もー聞いてよ~、職場にさスッゴイ強烈な人がいてさ、なんか知らんけどいつも辛そうでこっちまで暗くなるに」
⇧これ、言っている本人は事実のつもりですが解釈だらけです。
ここでやりがちなのが
「うっそー、なにそれやだー」のような同調。
「嫌かもしれんけどそんな人どこにでも居るやん」みたいなアドバイス。
「わかる!!!私の職場にも居るんよ、こないだその人がさ」という乗っ取り。
このどれかを始めると何が起きるかと言うと、お互いその現実が続く・もしくはエスカレーションしていく、要は”不満な出来事が繰り返す”人生になります。
誰かと話すという行為は、そのエネルギーを膨らませる働きがあるので単純に不幸が2倍になると思ってください(あえて不幸と表現しました)
さて冒頭のセリフを事実に言い換えると(強烈ってどういうことか?いつもという頻度は?辛そうとは?の意味を聴くと)
「職場に話しながらタメ息をつく人がいる」
でした。
これが事実かどうかなんて分かりませんが、おそらく冒頭のセリフよりかは”起きた出来事に近い描写”です。
出来事って実は本当に淡々とした文章に収まります。けれどなぜ人間は”オオゴト”にしてしまうのか?
答えは簡単。
”恐れ”があるからです。
オオゴト・・・脳内ドラマって始まると”恐れ”が薄れるんです。だからドラマチックに生きる(回避行動で生きる)のをやめられない。麻薬みたいなものです。
恐れの話は今回は省きますが「そっか、自分の中に恐れがあるんだ」と知るだけでも私はどこかホッとすると思っています。
ちなみに友人の「職場に話しながらタメ息をつく人がいる」のお話しの最後に出てきたのは「タメ息は幸せが逃げるという思い込み」でした。「だってタメ息ついたらお母さんが超怒りよったもん!」とのこと。
タメ息=怒られる、があるならそりゃその職場の人に反応するわね。
現実って常に、
起きることが起きただけ
それ以外の意味合いはありません。
おしゃべりが下手になりました。
2023.11.17
※前記事の続きです
言葉はエネルギーを固める性質がある。それって言い換えたら「これは、こうだ」という決め付け。
「長女だから」
「次女だから」
「末っ子だから」
「一人っ子だから」
他にも日本人が好きなのは「A型だから」家族構成や血液型などによる決めつけ。大人(主に親)によるラベリングは子供の性格形成に強く影響すると思います。わたしはずっと自分の事を「私はだらしがない」と思い込んでいました。いつも母が私自身に言っていたのと、よく他の大人に対して私の事をそう説明していたので。
ところがこの世に”だらしがない人”って居ないんです。キッチリした人もしっかりした人も清潔な人も卑怯な人も正直な人も、世界のどこにも居ません。良い人も悪い人も居ない。
自分の主観で、そう言葉で決めつけているだけです。そして相手をこうだ、と決め付けた瞬間から相手がそうとしか視えなくなります。
自分の現実を、主観を入れず事実を事実として捉えるようになると”決め付け”のしようがありません。主観が入ると即座にエゴのジャッジ(善悪での裁き)が起きるので・・・。
と、いうことで昔はポンポン会話してましたが、ここ数年は会話中に「あ、これ決めつけ?」「あ、ジャッジ?」と気を取られ、おしゃべりが下手になりました(←ちなみにこれも決めつけです)そしておしゃべりがもっと好きになりました^^
誰かと話しをしていてやりがちな、話題の乗っ取りや同調やアドバイス。言葉はエネルギーを固めるという特性を知ってからは格段に減ってきました。その人の感情はその人だけのモノだから、私の言葉で決めつけるのは単なる干渉。
それを子供が小さい頃は散々やっていました。話もろくに聴かず状況だけで「それは悲しいよね」「わかるわかる」「よかったやん!」・・・悲しいかどうか・よかったかどうかは本人が決めること。今は「どう感じたん?」と”対話”が出来るようになりました❀
言葉はエネルギーを固める。
2023.11.16
先日の記事で「(言葉は)エネルギーを固めるには便利」と書いた一行に結構な反響があり、ご質問をいろいろと頂いたのでお答えしたいと思います。
「うれしい」「かなしい」など感情を表す言葉はたくさんありますが、あれって人間が区別するのにラベリングしただけで、実際はなんとなく性質が違う(厳密に言うと周波数の違い)エネルギーというだけの話。
けれど、例えば「かなしい」という言葉で表現した途端そのエネルギーはもう「悲しい」に固定されます。本当は様々な性質のエネルギーが混ざり合った状態のものが「悲しい」だけになるというか。
そして名前が付けられた(言葉で表現された)エネルギーは力を持ちます。
一番わかりやすいのは”病名”
とある体の状態を”症状”と表現しエネルギーを固め、さらに「〇〇病」という言葉で固める。病名が付いた途端その”症状”は力を持ちます。
・イライラする
・顔が火照る
・急に落ち込む
「これって”更年期障害”よね~、もう年だし」
・・・いろいろツッコミたいのですが今日は言葉の話なので省くとして、こうやって人間は自分から病気になりに行くことが多々あります。
反対に、名前が無い・言葉で表現ができないことで不安が生まれることも。対象となるエネルギーが固定されないことによる恐れ、です。
ハリーポッターでも”名前を言ってはいけないあの人”が恐れられていたり。
これって良い悪いではなく、言葉にはそういう特性があるというだけなのでその性質を上手く使いましょうという話です。
言葉に振り回されず、使う。
振り回されている時は感情が教えてくれます。イライラ・モヤモヤ・カチン!が合図です。
エネルギーを固める特性があることも知らず言葉を使っている私達。そりゃ争いが絶えず起こるわけです。
日常的にしているのが《言葉を使って相手をラベリング》じゃないかなぁと私は思います。
”相手をこうだ、と決めつけて話す”というのは本当に巧みに私たちの世界に入り込んでいるので。
続く。
大切な人へのプレゼントに大好評です。
2023.11.12
今月から販売しています!
〇新年特別開運祈願《福塩》
〇最上寺の開運セット
どちらも数量限定です♪
ご自宅用はもちろん「今年一年お世話になった方へ」とご購入される方が多くこちらも嬉しくなってしまいます^^
使い方としては
〇福塩
大晦日のお風呂に半分、新年初風呂に半分入れる
〇開運セット
冬至のお風呂に浄化スプレーをお風呂に入れ、大晦日のお風呂に禊の祓い塩を入れ、福塩を新年初風呂に入れる
が、おすすめです。
菩薩様のシールと最上寺の松葉を使ったラッピングも評判が良くて和尚さんも喜んでいます。
数に限りがございますのでお求めはお早めに!
蓬屋店頭と最上寺本堂にてご用意しております。
よろしくお願い致します。
優しいお客様。
2023.11.11
蓬屋のお客様って全員本当に優しい。きっぱり断言できます。何を以って優しいとするかは人それぞれですが”私の思う優しさ”を持っている方ばかり。私は優しい=受容だと思っています。昔は優しい=同調・寄り添う事だと思い込んでいて、今でも時々その思考癖がコンニチハと覗かせることもあります。瞬間胸がザワッとするので分かりやすいエゴです。
先日とあるお客様とお互いの子供の話になり「そういえばウチ、長女がお父さんとキャンプに行きましたよ~」と口にした所即座に
「…たーこさん、本当によかった…」
とお客様が仰いました。一瞬、?となりこれまた即座に「ああ!」となった私。
『そうやった、ウチ再婚家庭やったわ。そっか、いや本当にスゴイな、23歳の娘が父親と二人でキャンプに行くのもスゴイけど、血が繋がらなくても良い父娘の関係が出来てるのすごいわ。20代とか血が繋がってても私は両親に近づきたくなかったもんなー』一気にそんな思考が巡りました。そしてそのお客様の優しいエネルギーに密かに感動。その時はうまく言葉に出来ませんでしたが胸が温かくなったのを感じ、それは夜まで続きました。閉店後体にフォーカスして沸いたのは『受け容れられた感』です。私は言葉ってオマケみたいなもの(エネルギーを固めるには便利)で、伝わるのはエネルギーだと常々思っており、それをしっかり体感できた出来事でした。
同調や寄り添う事が”優しい”だと思い込んでいた私だから解ります。嘘くさい優しさがどんなものか・・・「こう言えば相手に寄り添ったことになる」みたいな感覚で長く生きていたので・・・。だから「優しいね」と言われても「そんなことない」という想いがずっとありました。そう言われる為に頑張っていたのに実際言われると本気で否定するというなんて矛盾した生き方。そら疲れるわな。「寄り添わなきゃ」が無くなった今はとても楽ちんです。
いつもお客様が終わる度にホコホコした感じになるのは優しさをもらっているんだなぁと思います。人によっては愛とか幸せとかラベリングが違うかもしれませんが、要は温かなエネルギー。今、書きながらもホンワカ。受容って気持ちがいいです。皆様本当にありがとうございます♪
※黄色が和尚さんで、ピンクが長女。「このキャンプの為に全部新調したらしいよ、愛がすごい」父親の張り切り具合と冷静な長女のコメントの差が私のツボでした。
感情の渦の外から観る。
2023.11.9
久々に強烈な寂しさがやってきました。昨日、昼間に長女とお出掛けを楽しみ、夜寝る前も余韻に浸っていた所、なーんかチラッと負の感情が沸いた気が・・・。今、言い聞かせたよね?わたし。何かの恐れを言い聞かせて”無い”ことにしようとするのはエゴ(生存本能)の得意技!探ってみると出たのは「さみしい」でした。
うん、さみしい、あるなぁ~。といつものように味わっている内に色んな想いが沸いてきました。「一人が寂しい?いや違う」「一人が寂しいなら、誰と居ても寂しいもん」「状況や環境じゃない」「じゃあなんなん?」ノートに全て書き出していきます。最近は大体のところで”自分の望み”まで行き着くのですが、昨夜は全く出ず。それどころか意外なワードがバンバン出てきました。今朝起きてもモヤモヤが強く、珍しく軽~い頭痛まで起きていて「久々に大物かも」と別の自分がワクワク。
午前中いっぱいよもぎ蒸しと半身浴で体を温め、自分に戻る作業をしてみましたが寂しさは強いままでした。私の場合は寂しさを感じると即座に「生きるのが面倒くさい」という思考になるのですが今回は「もうそれでいいや~」とそれすらも受容。するときたきた来ました!理解が降って来る瞬間が!夕方、友人と電話で話していたら
「ああそうか、この寂しさは”今のモノ”では無いから”今の私”が創ってないんだった」
ポーンと沸きあがってきた瞬間スッッッキリ。怒りも悲しみも不安も、過去の未消化の感情が何かに触発されて”今”再燃焼しているだけ。←昨夜散々唱えましたがエゴが抵抗したんでしょうね、時間差で理解がやってきたということは。
感情の渦に巻き込まれるとオオゴトになるので、いかに外から観れるかが鍵だなぁと今回しみじみ感じました。
”楽しいからする”も痛みの回避。
2023.11.5
蓬屋の講座を受けてくださった方がよく「好きなモノや好きなコトさが変わってきた」と仰います。
先日もよもぎ蒸しに来てくださった方が「これまで楽しいと思っていたことが楽しくなくなって、意外なことに幸せ感じたり、その自分が嬉しいです」とお話しくださいました。
現実に振り回されている時って、自分に軸がない・核がない状態。そんな時ってその現実に対して
A.がんばって克服する
B.関わらないように逃避する
このどちらかの行動しか取れません。
自分がナイ状態の時の「楽しいからする」は十中八九”逃避”です(場合によっては克服とも取れるけれど回避行動なことに違いありません)
楽しいから——自分の求める”楽しさ”ってなんでしょう?自分に軸が無い状態で欲する楽しさって大体”興奮・刺激”です。
おそらく”楽しい”は幸せなことだという思い込みから来ているはず。実際そうなんですが、自分の中にある楽しさの定義が”興奮・刺激”だとしたら、幸せ=興奮・刺激という方程式が在ることになります。
「きゃーっ!!やったぁ!!!」
・・・これは幸せではなく興奮です。興奮は冷めます。幸せは”続くもの”です。興奮は続けることが出来ません。肉体に負荷がかかるので維持できないシステムになっています。そして冷めた時、かならずもっと強い刺激を欲するようになります。
自分の内側にフォーカスしだすと、自分が本当に望んでいることが解ります。
楽しさって幸せって
自分の本当の望みが叶うこと。
その時の楽しさは興奮とは真逆のもの。だから冷めません。そして”自分の本当の望み”が解かると”好き”も変わってきます。
執着の好きなのか、ただ好きそのものなのか。自分と繋がりだすと執着での好きは格段に減り、好きなモノは好き!と変化してきます。
わたしですか?
わたしは甘酒がもっと好きになり、
苦手だった”人との関り”が好きに変わりました。
自分に対しても変わりました。
わたしは、ずっとワタシのそばにいたいなぁと思います。
お茶会のお知らせ。11/5追記あり
2023.11.4
※定員となりましたので受付終了とさせて頂きます(11/5)
自分一人で考えるのって限界があります。自分が意識できている(=顕在意識)中で見つかる答えってどこまでいっても同じ答え。
誰かからの問いかけや、誰かと話すことで自分に無い意識(自分に無い世界)が入り、無意識領域が動きます。
だから人と話すと嬉しかったり、悲しかったり、腹が立ったりするわけ。
”誰もがみんな痛みを抱えていて、それを回避する行動をとってしまう”
”相手に言いたいことは自分に言いたいこと”
この2つの共通認識があると、受容が生まれ、会話ができるようになる。
——普段私達がしているのは会話ではなく”単なるエゴの押し付け合い”です。”会話が成立する”ってすごいことなんです。
その2つの共通認識の元のお茶会、自分の中を安心に出せるシェア会を開催します。自分の内側に何があるのか?自分の現在地が解かる会。
なんて書きましたが実態は私が誰かと美味しいお菓子を食べたいだけの会です(*^-^*)
参加ご希望の方はLINEください。
11月25日(土)
10:00~12:00
定員4名
会費1500円
※今回は、蓬屋にて講座を受講したことがある方限定とさせていただきます
家族や友達でネガティブになるのは所有物だと思っているから。
2023.11.3
”ピラミッド社会=所有の概念”
生まれた時からその社会で育てられた私達はどっぷり所有の概念に浸かっています。
所有するか、されるか。
ピラミッド社会で言う”心の距離が近い相手”——心の距離が近いとか遠いとかがもうね、もろジャッジですね——家族には感情がものすごく揺さぶられるのは
相手を自分の所有物だと思っているから。
他の人から言われても腹が立たないのに、母親から言われるとものすごく怒りが沸く、なんてことも良くある話です。
「お母さんに自分を投影しているからよ」などもありますが、エゴの抵抗でそれが受け容れられない人は所有物の視点から観ると入りやすいかもしれません。どちらにしても
自分=相手になっている状態です。
すごーく苦しい。自分も相手も。
「子どもは親の言う事を聞くのが当たり前だ」「親は子供の言う事を聞くのが当たり前だ」の根底にあるのは所有の概念です。
あんたは私のモノだから、私の言う事聞きなさいよ——強烈な”正しさの押し付け”です。
- 結婚したんだから
- 親なんだから
- 子どもなんだから
- 家族なんだから
- クラスメイトなんだから
- 親友なんだから
- 同期なんだから
- 部下なんだから
- 上司なんだから
所有する側か所有される側かは人によりますが、所有が基準になっていることに違いはありません。
心の距離感とやらがあるのであれば、相手に対しての《所有の度合い》かもしれないなぁと感じます。
そして所有の概念があるということは、同時に執着心があるということ。もれなく望まない現実がやってくる、すごい仕組みです。
根底にあるのは。
2023.10.31
「わたし悪くないもん」
この気持ちはきっと誰もが持っていて、肉体がある限り(要は生きている限り)ゼロにはならないんじゃなかろうかと思います。そして、上手に生きている人はこの「わたし悪くないもん」の受容がとても上手い。
わたし悪くないもん。
自分が悪いと思いたくない・自分が悪いなんて思われたくない・加害者にはなりたくない。
だって・・・そんな人間だと嫌われちゃうから。損しちゃうから。
だからぜったいぜーったい「わたし悪くないもん」の観念を手放さない・手放せない。本当はこの世に悪い人なんていないんですけどね。
「私は逆です。すぐに悪いのは私、と自分を責めてしまいます」と言う場合も根底にあるのは「わたし悪くないもん」です。長くなるので説明は省きますが。
他人のせいも自分のせいも根っこは同じ被害者意識ですから。
良い悪いでジャッジしている時は”わたし悪くないもん”が発動中なので「わたし悪くないもん」が”在る”んだなぁ~と声に出してみる。するとそれだけで次の瞬間の未来が変わります。
だれだって嫌われる(否定される)のこわいよね。嫌われたっていいし!は、かなり強烈な拗ねなのでやってくるのは「ほらやっぱり嫌われた!」「否定された!!」という現実。
わたし悪くないもん、があるんだな~
嫌われるのこわいな~
でも・・・認めたらそうなっちゃうんじゃないか?の恐れが出たらそれも素直に感じる!
すると・・・あら?なんかちょっと肩の力が抜けたかも!?
安心の未来が欲しかったら”今”安心するしかありません。わたし悪くないもん・・・エゴの声は本当に愛おしい♡
人肌恋しくなったときは〇〇の合図。
2023.10.25
気温がグッと下がってきた今日この頃。
なんだか寂しい
夜になると人肌恋しくなっちゃう
などなど可愛らしい言葉がチラホラ聴こえてきたのでお伝えします。
寂しい・恋しいは自分との繋がりが切れてますよ~の合図。完全に切れてしまうのは死んだ時だけなので厳密に言うと、繋がりが薄れてきてる状態です。
私達人間は、
わたしは、わたしである
という意識エネルギーが主としてあり、肉体・感情・思考があります。
わたし”の”肉体
わたし”の”感情
わたし”の”思考
I have です。主たる”わたし”が在っての肉体と感情と思考。けれど現代人の約99%は
わたし=肉体
わたし=感情
わたし=思考
I am になっていて、肉体(見た目や病気)に振り回され、感情に振り回され、思考に振り回されて生きているとされています。
主たる”わたし”との繋がりがほとんど希薄な状態だと、他人やモノゴトに振り回される人生に・・・。いつも不安や不満や問題がおきていると生きることに必死ですが、ふとした時に感じる”寂しさ”
あれは「繋がりが切れてるよ~」のお知らせです。その寂しさを誰かにぶつけない・誰かで埋めようとしない。じぶんと繋がりなおすことにフォーカスしましょう。寂しさが在るなぁと味わえば一瞬で自分と繋がります。寂しさがわく度に受け容れたら、喜びの感じ方も変わってきますよ♪
内観するには誰かと話すと早い。
2023.10.22
人は人によって傷つくけど、人によって癒される。そして自分の内側を観るには誰かと話したり関わると本当に早い!(漢字あってるのかな?速い?)
自分一人でもあらかた出来るけど、同じところでぐるぐる回る感じの時があって、そういう時は誰かと話すと「あぁっ!それ!!!」となることが多々あります。ここ数年で内観仲間が増えてきて、話すたびにスコーンと来る感じがあり随分”自分の中の痛み”と仲良くなってきました。会っている時にスコーンとこなくても、後日大きな「あぁ・・・これかぁ・・・・」と胸がじんわり温かくなったり、涙が溢れたりと様々なパターンで理解がやってきます。
私が発した何気ない言葉で相手が「それや!!」となったり、それがすごくおもしろくて(興味深いのオモシロイ)毎日が安心で包まれている感じです。
人ってやっぱり人が好きなんだと思います。誰かに受容されると嬉しくなるし、欲しくなるのは自然なこと。もちろん自己受容は必須ですが。
そしてそれを提供できる場所で在りたいなぁと思います。
お金に対する概念の変え方。
2023.10.21
概念・価値観・観念・・・とにかくお金に対する考え方、の変え方は
痛みがある時に感じきること
おそらく多くの方が支払う時に痛みが走るはず。「うっ」とか「あーあ」とか負の感情が出る時って”痛い”んです。保有することが善いことだ、という概念があると、減る・無くなるという感覚の行為(=支払い)は悪事だから。
- 高いなぁ~
- あーまたお金が出ていく
- このお金があったら〇〇出来るのに
- これ払わないといけんの?
- この分また働けばいいやん!
- あ~今月も支払いが・・・
- 必要経費だし
- がんばったご褒美だもん
- このあいだ浮いた分だから大丈夫!
- 安いからまぁいいか!
- あーあ、全然貯まらん
などなど否定や嘆きや言い聞かせが言葉で出たり、想いがわいたら痛みがある証拠です。このときにすかさず拾う。拾って味わう「ああ、私は今こう思ってるんだなぁ」って。「こんなこと思ってるからダメなんだ」なんてジャッジはナシ!
もし「ダメなんだ」がでたら今度はそれも味わう「ダメだって思ってるんだ」って。
もし何か巷で言われているアファメーションを唱えるならその後が効果的です。
- お金さん、いってらっしゃい!仲間を連れて戻ってきてね
- 私はお金が大好きです・お金も私が大好きです
- 私はお金がある
とかですかね?私は「私は貧乏をやめます。私はお金から愛されている」を唱えています。
書いてて思いますけど本当に地味~な作業なんです。1年くらい続けると本当に概念が変わってきます。というか飽きてきます。「私、もういいわこの現実」みたいに。そしてその頃になると不安が薄くなっています。
ここで「え・・・1年もかかるの?」と捉えるか「1年でその先もう不安が薄くなるなんて♡」と受け取るかは自分次第。うちのお客様で続けている方は全員「不安が薄くなるだけで本当に楽」と言っています。上手くいかないと、ついプラスを求めてしまうけどマイナスがなくなる方が私は大切だと思うので、同じような考え方の方はやってみてください(*^^*)
”お金は仕事で稼ぐもの”ではない。
2023.10.17
お金は働かないと手に入らない
こんな概念を持っていると、本当に《働くことでしか手に入らない》人生になります。
しかも私の場合は「どうせ私は選ばれない」という信念が大元で作用しているので、働いて手に入れても私から離れていくという現実を引き起こしていました。
ちなみにざっくり説明すると「どうせ私は愛されない」が信念である人はお金や人から愛されない現実を引き寄せ、「どうせ私には自由がない」が信念の人はお金や人から支配される現実を引き寄せます。細かく解いていくと皆様それぞれ違いますので、これはあくまでもざっくりした見解です。
さて《お金は稼ぐもの》という概念が自分にあるとしたら?このことを知るだけではダメで、自覚が必要になってきます。”知る”と”理解する”は天と地ほど差があって、本を読んだりして”知っただけ”ではあまり現実が変わりません。
「あぁ!そういうことか!!」腑に落ちないことには意味がない。私の場合はスコーンと来る感じがあったときが”理解できた”合図です。得た情報を日常で使えて初めて理解できているかどうかが分かります。知るだけでは叡智になりません。
お金は稼ぐものではない。
お金もただのエネルギー。
必要な時に必要なだけ手に入る。
このことを自覚していけば自然とお金が寄って来る自分になります。自覚の仕方は簡単!次の記事へ続きます。
⇧人に置き換えると
”人もエネルギー。
必要な時に必要な人が寄って来る”です。
支配したりされたり、我慢したり犠牲をはらわなくても繋がりは無くならないんですよ。
お金の記事が好評につき。
2023.10.16
「なんかすごい腑に落ちました」
「確かにお金も愛も全部同じパターンだわ」
「もっと詳しく知りたい!」
などなど嬉しいご感想を頂き、更にアクセス数も多いのでもう少しこのネタに触れたいと思います。
玄関のタタキを毎晩拭き掃除しても、トイレ掃除を毎日しても、お金に”様”を付けても一向にお金に対する不安が消えなかった15年前までの私。貯めようと思うと出ていく(家電が壊れたり、タイヤがパンクしたり、子供関連での予想外の出費とか)
「使えば入ってくる」という言葉を信じて使ってみるも「やっぱり使えば無くなるよね」と思ってしまう現実。
その頃の私が取り憑かれていたのは
- お金を増やす方法
でした。追い求めれば逃げるなんて知らなかったので追い続けましたねぇ・・・。
FXをしてみたり、投資信託に手を出したり。実際プラスにはなったけど、利益が出ると逆に怖くなるという”どこまでいっても貧乏思考”でした。なんというか「こんなに上手くいくはずがない」みたいな疑いの感覚がずっとあって、利益が出続けると疲れてしまい結局そこそこで売る→「もう少し待っていたらもっと利益出たのに!!あーあ・・・」を繰り返しました。
”恐れ”を持ったままだと何をしても安心出来ないので、みごとセオリーどおりです(笑)
そして私の中で根強く在ったのが
- お金は稼ぐもの
という概念。投資で儲けるのはこの概念に反することになるので「楽して儲けたらロクなことにならない」と自分の中で争いが起きる。自分の内側が、外に反映される(思考が先現実はあと)としたら、私の外側の世界が荒れていたのは当然でした。
お客様の信念あれこれ。
2023.10.15
人間はそれぞれ自分を守るために創り出した、自分独自のルール(信念)で生きていて、それが生活全てに適応しているとしたら・・・?
思考リセットコースで、その”自分独自のルール”つまり”今現在のあなたを自動的に動かしている信念”を探って解いていくと、皆様それぞれ本当にいじましいと言うか何というか、愛おしさで胸がきゅーっとなる信念をお持ちです。
- どうせ私は愛されない
- どうせ私は理解されない
- 私には居場所がない
- 私には価値がない
- どうせ私は認められない
- 私は居ちゃいけない
- どうせ私は自由がない
- どうせ私は置いて行かれる
- どうせ私は貰えない
- どうせ私は可愛くない
- 私には力がない
などなどこれ、ほんの一例です。
なにがいじましいかって、これらの信念が創られたのは恐らく本当に小さな頃で、ちっちゃい頭で一生懸命に考えた事だと想うと胸が震えてしまいます。
誰か(主に父や母)を
おこらせない為に
かなしませない為に
必死で創った自分のルール。これが大人になった今では自動運転すぎて、まず気づけません。けれど合図は毎瞬来ています。「このルールで生きるのは本当の望みじゃないよ」って。それがイライラ・モヤモヤ・カチン!不安や不満はメッセージです。
この仕組みを知るだけでも心と体が軽くなります。思考は必死で抵抗しますが^^その抵抗は最高の鍵なので否定の気持ちがわいたらチャンスです♪
誰もが持っている自分の中の方程式③
2023.10.14
実際お金が有るとか無いとかは問題ではなくて「ナイと思い込んでいる事」が問題でした。愛も繋がりも健康も力もお金も時間も。幸せになる資格も。
その「ナイという思い込み」の元になっていたのが”どうせ私は選ばれない”という信念で、それは”私から離れていく怖さ”を二度と味わいたくないから作られたものだとすると、私の場合は合点がいきました。これまでの人生で起きたアレコレ全部
「そっかー、こわかっただけなんだ、わたし」
って。
”お金がない”をピンポイントで解決できる人もいると思いますが、私はそれだと無理でした。それにお金だけじゃなく安心と豊かさが欲しかったので《自分の信念と痛み》にフォーカスすることが必要だったようです。
ただねぇ、やっぱり”痛み”というだけあって、そこにフォーカスすると痛い。本当に痛いんですよ。だから人間て信念を作って見ないようにする。この生存本能(エゴさん)のシステムは素晴らしいとしか言いようがない!
よく思考リセットコースで「蜷川さんの話は分かりやすい」と言ってもらえるのも、散々自分の”痛み”と向き合ってきたからだと思います。あはは~
誰もが持っている自分の中の方程式②
2023.10.12
私の中に
最初から選ばれないようにしよう
という方程式みたいなものがあるとしたら・・・?
そりゃ誰からも何からも”選ばれない”。もちろんお金からも。もし選ばれて”有る状態”になったら、無くなるのが怖いから「そんなの耐えられない!じゃあ自分から先に手離そう!」という思考パターンが働く。人もお金も、全てに対して。
・・・服やバッグや生活品などもなるべく持ちたくないという性格も頷けます。人も物もすぐ切ってしまう背景にあるのが
離れる(無くなる)のが怖いから
だなんて思いつきもしませんでした。しかも”選ばれるかどうか”って・・・どんだけ受け身で他人軸な信念なのさ。
その仮説に行き着いた私は「ああそうか、私はお金から選ばれないと思い込んでいるんだな」と口に出してみると、全身の力が抜け深く呼吸が出来ました。どうやら合っていたようです。その日からお金に対して不安になることが無くなりました。
貯金することが安心に繋がると”思い込んでいた”私にとって、何一つ変わらないのに安心できることが不思議でたまりませんでしたが『この世界が当たり前で今までの方がオカシかったんだな』という感じです。不安で居続ける方が実は難しいのに、それを一生懸命に私はやっていたんだなぁ。5963!
誰もが持っている自分の中の方程式①
2023.10.10
”いらいら・もやもや・かちん、と来たらキャッチしてノートに書き出す”をひたすら続けていく内にいつも同じような言葉が出ることに気が付きました。
「どうせ選んでもらえない」
「やっぱり選ばれない」
「選ばれたかったのに」
どうも私は”自分が選ばれたかどうか”を基準にして幸不幸を決めているようで、そこから解いて行くといつも辿り着くのは「離れていかれるのが怖い」「置いて行かないで」という想い。
これを感じたくなくて”選ばれないようにしている”んじゃないか?と仮説を立てると、すごーく腑に落ちました。
選ばれる
⇩
繋がりが出来る(有る状態)
⇩
無くなるのが怖い
⇩
じゃあ最初から選ばれないようにしよう!という方程式が自分の中にあるとしたら???
「なんで私は貯金をしないの?」
2023.10.9
ノートにその一文を書きながら既に答えが脳裏に浮かびます。
「だって有ると取られちゃうから」
この回答に「ああ!」となりました。物心ついたころから「うちにはお金がない」という両親の言葉を聞き、誰か大人からもらったお小遣いやお年玉は「子供が大きいお金を持つもんじゃ無い。お母さんが預かっておく」と全額渡すシステムで育ち(高校に上がるまで)それが返ってきたことは無く「うちはお金が無いから仕方ないんだ」と、なんとなく思い込んでいました。
お小遣いが欲しくて小4から小6まで毎日新聞配達のアルバイトをしていましたが、毎月の収入を例のごとく「大きいお金は」の名分で、私が受け取れる分は端数の小銭だけ、と何故か母と取り決めがありました。端数が600円なら600円がその月のお小遣い、というわけです。
「だって取られちゃうから」がポロッとでた瞬間、それらを一気に思い出し「そりゃ貯金なんてしたくなくなるよなぁ」あったら取られるという観念があれば当然です。支払いが確定した分は用意が出来るのも納得。そしてここで、自分の”痛み”とつながっている事に気が付きました。
自分のお金に対する概念は、ほぼ親からのスライド。
2023.10.9
「お金がない」が口癖の親を持つと、大体”お金=無いもの”という概念(観念・価値観)を持ったまま成長します。良くも悪くも、その”お金=無いもの”を基準にした生き方となります。
みたいなお話は世間一般的によく聞きます。その仕組み?を知ればアナタも変われます!みたいな。でも私は全く現実が変わりませんでした。
常に、無い。
むしろそんな事を知って親への恨みが増えましたよ。「冗談抜きで毎日聞かされてたわ~」って。
”お金のブロック”なんて言葉も流行り、そういう講座や本も読みましたが、解決策が”お金を好きになると良い”や”お金に感謝しよう” ”お金さんを信じること”など、なんかもう・・・聴きたいことはそうじゃね~、という解答ばっかりで。「今だってお金好きやし!」「信じるのやり方教えてよ!」それらのもっと手前の事を知りたかった私は、とにかく不安が出る度にノートに書き出しました。そんな中ふと「クレジットカードの支払いは、いつもなんとかなってる」と気づきます。
”あれ??私って貯金はできないけど、出る分の用意は出来るんだよな”——これって改めて考えると本当に不思議で、自分自身に訊いてみました。できない、のではなくて ”しない” だけじゃないか?と思って。
私の中にあるお金に対しての恐れ。
2023.10.8
私達人間って個人個人みんな”自分独自の信念”を持って生きています。
「私の人生は波乱万丈だから」が口癖の人は波乱万丈な人生になり、「逃げるのはダメだ!」と思い込んでいる人は逃げざるを得ない状況をよく創ったり、「この世は修行だから」と言う人は本当にこの世は修行の場となります。
その”自分独自の信念”の正体は自分の中の痛みを回避するために自分で作った愛おしいルールなのですが、この信念は全てに作用するので厄介な現実を引き寄せることに・・・。
私の場合で言うと「どうせ私は選ばれない」という信念があり、その根っこにあるのは「置いて行かれる」とか「離れてしまう」という痛み。自分から誰かや何かが切り離された(と思い込んだ)時の”さみしさ”が強烈に痛いんです。今、書いていても体がキュウッとなります。そのさみしさを味わうのが怖くてこれまでやってきたのが
「だったら最初っから無い方がいい」
と、全てを自分から切り離すという生き方です。
相手から離れられるのは耐えられないから、私の方から先に離れる。これが見事にお金との関係にも適応され、常に”無い状態”をキープする人生でした。有る、が無くなっていく(離れていく)のに耐えられないから。
同じ「離れるのが怖い」痛みでも、私とは反対に「じゃあ無くならないように抱え込む」という生き方の人もいます。お金に対してもパートナーに対しても。
ずっと「有る」をキープしていく人生は一見豊かに思いますが少しでも減ると「取り返さなきゃ!」—焦りと不安が働くのでそれはそれで苦しく。ストックを減らさないように必死なので必ず何か(健康や人間関係)が犠牲になっています。
さて、私の場合自分の中の信念や痛みが解かってから、お金の流れが変わりました。
好きなことを選んでもイマイチなのは③
2023.10.7
続きです。
おそらく何の躊躇もなく「これ好き」「これしたい!」とやりたいことを選べる人って本当に少数だと思います。
やりたいことがあっても、家族や職場の人など「誰かに迷惑かけるから」と考えてしまったり、「お金が」「時間が」「世間体が」「もう年だから」など、いろーーーんな事が頭をよぎる人が世の中大多数。
これらの言い訳は全て”恐れ”
自由に好きを選んだらどうなっちゃうのか?を妄想し、言い訳して自分を正当化する。みんな怖いんですよね、社会からはみ出るのが。はみ出たら生きていけないと”思い込んでいる”から。
さて、その”恐れ”の気持ちですが昔の私の場合は力でねじ伏せていました・・・。「いいんよ、これで!!」「嫌われたっていいもん」「明日死んだらどうするん」が口癖でしたねぇ(遠い目)
”恐れ”に目を向けると痛い(不快)なもんだから回避するのに必死。だから常にエンジン全開ゴーオンジャーでした。回避するって、ものすごく無駄にエネルギーが要るので・・・。
蓬屋を始めたあたりで「なんで好きを選んでもイヤな現実になるんだろう?」と視点が変わり、真剣に(深刻にではありません)考えました。分析していく中で怒りや不安など負の感情が沸いたら書き出すという手法と出会えたことは私にとって本当に僥倖で、実践していく内に「好きなことを選んで幸せな現実」がどんどん増加!今思えば、負の感情を書き出す=ダメとする自分を認める→自己受容度アップ、ですから増えない訳がありません。
そして更に《自分の好きを大切にした生き方》へと変わっていきました。それと共にお金との関係も変わってきました。
好きなことを選んでもイマイチなのは②。
22023.10.7
続きです。
「自分の”好き”を選べばご機嫌な現実になる」確かにそうなんです。でもその当時の私は”好き”を選んでも散々な結果になることの方が多く、心から「あー幸せ♡」となったのは1割くらい・・・。下手な鉄砲数打ちゃ当たると言いますが、このままでは当たるまでに死を迎えてしまうと思った私は分析しました。
そして気づいたのです。散々な結果になる時は”好き”を選ぶ前に
自分を変える為にやりたいことをしなければ
という、それはそれは重い感情があったことを。”変える為に”と恐れがあったんです。
反対に「あ、これ好きー!」「やりたーい」と軽い気持ちで決めたことは大満足な結果になっています。パートを辞めて蓬屋開業したのも、その内の1つです。
恐れから選ぶと必ず後悔や不満・不安を味わう結果に。喜びから選ぶと大満足の結果に。
選ぶ前から結果は決まっている。
「イヤな事が起きたから、イヤな気分になるのでは無く
イヤな気分だから、イヤな事が起きるんだよ」
思考が先、現実はあと。
だからいくら”好き”・”やりたいこと”を選んでも結果がぱっくり分かれる、起点が恐れからなのか喜びからなのかで現実が決まる、ということを身を以て知りました。
続く→
好きなことを選んでもイマイチなのは。
2023.10.5
12年ほど前から人生を変えたくて色々と取り組んできました。中でもいちばん影響したのが
”好きなことをしていればご機嫌な現実になる”
という考え方です。
ただこれを、その当時の私は言葉通り受け取り「とにかく”好き”を選べば良いんだ」とバッファローのごとく実行しました。パート先でも家庭でも子供の学校関連でも、どこでも。でも自分が好きと思ったことだけをする、は他人の顔色を伺う天才だった私にとって至難の業。実行するたびに罪悪感がセットで現れ、それを「いやこれでいいんだ」「変わるんだ」と言い聞かせながらの日々で・・・。
するとどうなるかと言うと「あーあ、やっぱりしなきゃよかった」という結果がほとんど。好きを選んでも、結局揉めたり問題が起きたり嫌な思いをしたり散々でした。「どうせ私は”好き”を選んでも不幸にしかならないんだ」と何百回絶望した事か!
本には「気にしなければ良い」とか「突き抜けちゃえばいいんです」とか「相手に感謝を送りましょう」とか書いているけど、それが出来んからこうなっとんのやないかい!と腹を立てたもんです。
続く→
※10/7加筆修正しました
朝足湯。
2023.10.4
お盆過ぎてから、ほぼ毎朝足湯をしています。お彼岸までは足湯でジンワリ汗がにじんでいたのに、秋分の日を迎えてからは汗が出るまで時間を要するようになりました。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、昔の人の叡智には頭が下がります。
朝晩の空気がぐっと澄んできて肌寒さを感じる・・・この”感じる”って肉体があるからこそ出来ること。皮膚の外側での刺激が体験となり、それに対して皮膚の内側にある感情が動く=感動する(怒りも悲しみも嬉しさも全て”感動”です)
肉体が、外と内を繋いでいるという事実は学校では教えてくれません
体が無かったら、恐怖も喜びも感じられないことも。
思考と感情という観えないモノを、肉体という視える物質が繋いでいる。「分かっているけど足が動かない」「やろうとすると頭が痛くなる」——体は本当に正直です。その思考が、本当に自分が望んだことかどうか、体を感じてみれば丸解り。いつも”結果・現実”を教えてくれています。感情(ハート)が受け取った直感を、思考(マインド)が叶える方法を考え、肉体を使って行動に移す。必ず三つで一つです。私達はいつもそれがバラバラだから上手くいかず、あきらめるか力業でなんとかしようとする、の2択で生きる羽目に・・・。
さて、肉体のメンテナンスに最適なのは―—よもぎ蒸し!体が温かいと思考と感情の連携もよりスムーズになりますよ♪ご予約お待ちしています!
人生を変えるって地味作業です。
2023.10.3
人生を変えるって何かこう・・・劇的な何かが起きてとか、すっごい奇跡が起きてとか、インドに行って世界観を変えるとか、血がにじむ様な苦労の末に、みたいな感じだと誤解されていますが、実際は、とーっても地味です。
ひたすら自己受容です。ちまちまちまちま自分を受け容れる一択。これを無くして自分(=人生)は変わりません。(ちなみに自己受容が天然で出来ている人も世の中には大勢います。なんてうらやましいッ!)
そして何より大切なのは「自分が変わりたい!」という意思が無ければ変わりません。「誰かに変えてもらいたい」と思っている間は無理です。
思考の整理をしながら人生を変える作業の1つとして現実で出来ることをお伝えすると、え?そんなことでいいの?と驚かれることが多々あります。”そんなこと”ができてないから”こんなこと”になってるんですけどね、私達現代人は。
特効薬的な何か、はありません。人生を変えるのは”些細な事”です。
※実際は”変わる”というより”戻る” ―—新しい自分に”なる”のではなく、本来の自分に”戻る”、結果人生が変わる、です。
一気に現実を変えたいよね。
2023.10.2
9月は、思考リセットコース(旧:思考改革コース)のご予約が過去最高件数でした。大体「今、これこれこういう事に苦しんでいます」という状況が多く、やっぱり求められるのは”それから逃れる方法”や”今すぐ楽になれる方法”です。
極端な話、あるにはあるんです。その方法。
自分の現実は自分が創っている
これを本気で理解した瞬間、全ての問題が解決します。ええ、見事に全ての苦しみから解放されます。
自分の現実は自分の信念から出来ている、とも説明しますが、言葉では分かっても、意味をすんなり理解できないようにしているのが私たち人間です。
これまでに刷り込まれてきた倫理観・宗教概念・ルール常識道徳心などをフル稼働させて理解できないようにするんです。エゴの罠・思考の罠・自我の罠・・・色んな言い方がありますが全部同じ、生存本能からの抵抗です。
この社会で生き抜くには「自分の現実は自分で創っている」なんて理解しちゃうと都合が悪いから、生存本能さんも必死です。それまで「だれかのせい」「なにかのせい」で生きていたのに、それが出来なくなっちゃう!大変だわ!理解しないようにしなきゃ!!ってね。
今すぐ楽になれるかどうかはご本人次第ですが、一気には理解できなくても「目の前のトラブルも過去のトラブルも、登場人物や環境は違えど同じなんだ、鍵はワタシなんだ」と腑に落ちるだけで新しい道が現れます。
9月は素直になった方がたくさん♩良かった良かった~。楽しい10月になりますよ、きっと。
正直言ってルールがある方が楽です。
2023.10.1
決められたルールに従ったり、だれかに指図されたり・・・他の人の言う事を聞く方がハッキリ言って楽です。支配されている間は考えなくていいから。でも楽しくはありません。
自由って全部自分で選べること。それってつまり『自分で選ばなきゃいけない』ってこと。ルールや常識・宗教概念や倫理観を刷り込まれた私達現代人にとっては、これが本当に怖く感じます。
だってだれのせいにも出来ないからね。
でも、楽しい。
楽ではないけど楽しいんです。私が私で居て良いんだと心から思えると(刷り込みが無くなると)楽ではない、も楽しく感じるんです。それが面白味となる。※そもそも「楽ではない」なんて受け取り方をしなくなります※
「ありのままって過激なまでの正直さ」と教わった時に衝撃が走りました。それまで”ありのままで居る”というのは楽な自分・リラックスした自分になる事だと思っていたから。
ルールに従うのが善とする人達の方が多いので、どうしても私のような生き方は理解されにくい。過激なまでの正直さ、がないと”ありのまま”では居られない。
でも年々、似たような考えの人が増えてきました。だれかのせい・何かのせいにして生きるのって楽だけど満たされないもんね。誰もがありのままの自分で気持ちよく過ごせる世界は確実に拡がっています。
和気あいあいの講座でした。
2023.9.30
9月最終日の今日は《痛みから解る、自分の本当の願い》の講座でした。いやぁ~楽しかったです。体得して日常で使ってほしいので、今回は体験型の講座にしましたが手応えがあって本当に嬉しくって!不快な痛みを、普段どのようにして回避しているかを知れば向き合うことも出来るし、逆にそれを使って自分の願いが解かる。単純なことなのに気づかない―気づかせないようにしている思考の罠も仕組みと理由に納得がいけば振り回されなくなります。あとは日常で生かすだけ。
皆様お時間あるとのことだったので予定終了時間で一旦休憩し、『野菜の声を聴いて作ったtotonoiピザ』と『銀座HIGASHIYAさんの生姜羊羹』で一息いれましたが美味しくて美味しくて!!!お取り寄せしてよかった~。だれかと食べるのって最高ですね。
涙あり、笑いありの和気あいあいとした講座となりました。ご参加くださった皆様、本当にありがとうございました。
良い1ヵ月だったなぁ~。10月も楽しみです。
この世で一番辛いことは。
2023.9.28
それは「自分が自分を理解できないこと」だと思います。
=本当の自分とのつながりが切れてしまっていると”思い込んでいる”状態の時、私達は強烈な寂しさ・足りなさに襲われ、その欠乏感を誰かや何かで埋めようとします。自分の皮膚より外側の世界を満たせば寂しさが消えると”思い込んで”。
そう、ぜーんぶ思い込みです。
実際は、生きている限り本当の自分とのつながりが切れるなんて有り得ません(切れる=肉体の死だから)
誰も認めてくれないと”思ってしまう”のは、自分が自分を認めていないから。
誰からも愛されないと”思ってしまう”のは、自分が自分を愛していないから。
「私は今どんな気持ち?」と自身に意識を向けるだけで、瞬時に本当の自分と繋がることが出来ます。そして自分とのつながりを感じられたら寂しさは癒える・・・消えるのでは無く”癒える”がポイントです。
自分が自分の一番の理解者になれば、世間一般で言う”辛い事”は辛いと感じなくなります。捉え方が変わるから。答えはいつも自分の中。皮膚の内側です。
お客様の内側が動き出す瞬間が好き。
2023.9.27
蓬屋ではご希望があれば”思考の整理サービス”を行っています。と言ってもただお客様のお話を聴くだけですが、よもぎ蒸しも手伝って、私と会話するうちにご自身の本音がポロポロこぼれ、蒸し終わりが来る頃には頭も心も体もスッキリすることから、有難いことにこのサービス、大好評頂いております。
(もちろん、おひとりで静かに温まりたい方や、お喋りを楽しみたいお二人様でのご予約の際は私は離席しています)
いろんなお客様のお話を伺っていて好きなのが、本音が出る度にエネルギーが変わる瞬間。内側が動き出す瞬間、と私は呼んでいて「命が輝く」「魂が輝く」って比喩ではなく本当なんだ、といちいち感動してしまいます。そしてそうなると体は勝手に良い汗を出し、その人にとって一番良い温まり方になるというわけ。いやー、楽ちん楽ちん♪
クリアな頭だと”考える”が出来るので「なぜ私はわざわざ不幸(自分にとって不快な現実)を選んでるんだろうか」という見方を持てるようになり”悩む”ことが出来なくなります。
自分が不幸を選んでいるんだと認知できれば止めることが出来る。人生って、気付くことが出来ればこっちのものでございます。ちなみに全人口の99%の人間は不幸の認知が無い・または認めないらしいです。そりゃ奪い合いになるよね、幸せの。
9月も残りあと少しです。
2023.9.26
10月は来年の縮図。
10月11月12月の3カ月は来年の縮図。
わたしはどちらも信じています。なんにしても被っている10月は鍵!ということで、重要なのが9月の過ごし方。「10月になりました、ハイ豊かな1ヵ月にしましょう」は難しく、いかに前月である9月に手放し・断捨離して整えるか、問題ごとを解決して10月に持ち越さないか、がポイントです。
10月に起きた事はそのまま翌年に反映されるとすると、豊かで満たされた1ヵ月なら、豊かで満たされる2024年に。揉め事に振り回されれば、揉めて振り回される2024年に。どんな1年にするかはもう始まっています。
9月も残すところ数日。まだまだ時間はあります!ずっと処分したかったモノは思い切って処分する。見てみぬふりをしていた人間関係も向き合って視る。後伸ばしにしている問題を片付ける。
全部痛いのは一瞬です。来年1年間苦しむのと どちらがお得か考えてみましょう。
9月29日は中秋の名月です。最強のデトックスパワーに乗りましょう♪
プリキュアで号泣でした。
2023.9.22
先日、長女(22)と一緒に現在公開中の映画《プリキュアオールスターズF》を観てきました。初代プリキュアの時、長女は4才。毎週日曜日の朝8時半からお世話になっていました。2期目くらいまでしか覚えておらず、今現在のプリキュアがどんななのかも分からないので「初代が出たら嬉しいよね~」くらいの気持ちで行ったところ
開始1分で号泣でした・・・
全然知らん子だけ(多分ここ3年くらいの主役達?)の登場なのに涙がハラハラ止まりません。隣を見ると長女も泣いています。なんでしょうね、とにかく胸がいっぱいになってしまって・・・車にハンカチを忘れたのが悔やまれます。これ初代が出たら私収拾つかんかも、と思い途中でトイレに行きトイレットペーパーを少し頂いて戻りました。その後も5期目までくらいの子たちが出る度にうるうるし、初代が出た時は案の定涙腺崩壊でした。あの頃の長女の可愛さや一生懸命に育児してたことが鮮明に思い出されて、映画終了後は目がボヨボヨ。長女は長女で泣きはらして目が真っ赤。二人で大笑いしました。長女は当時そこまでプリキュアが好きでもなく(おしゃれキャットのマリーちゃん派だった)なのに親子でここまで感情が揺れるなんて不思議なもんです。きっとこんな風に自分の知らない自分がたくさんあるんだろうなぁ。生きている間にめいっぱい知りたいです。自分自身のことを。
妥協という我慢。
2023.9.21
妥協することを「大人になったなぁ」とまるで”イイコト”のように捉えていると、いつか暴発します。「私最近、妥協”出来るようになった”んだよね~」「夫婦って結局はどれだけ妥協できるかだよね」「職場で生きるには妥協が必要だって気づいたんだ~」etc。
納得できていないけど、別にそこまでそれがイヤなわけじゃない・・・これ我慢以外のナニモノでもありません。麻痺してしまっているんですよね、我慢に慣れすぎて。妥協して生きていると、不当な扱いを受ける現実を引き寄せます。それは自分が自分に対して不当だから。
「あんたは我慢するのが当然でしょ」「あんたには”このくらい”で丁度いいのよ」を自分でしてるんです。本当はそんなことしたくないのにね。
「でも妥協せず自分を貫くなんて出来ない」「そんなことしたら社会で生きていけなくなる」「関係が破綻する」ここでもエゴ(生存本能)が炸裂!貫くor我慢の二択になってることに気づきましょう。自分はどうしたい?まずそれからです。相手に服従しなくていいんですよ。
幸せになる”為に”生まれてきていませんよ。
2023.9.20
幸せになる為に自分を変えよう!
私達は幸せになる為に生まれてきてるのよ!
・・・”幸せになる為に”って耳触りがいい言葉だから使いやすいんですよね。あと、酔いやすい。自分も酔って相手も酔わせてというビジネスが世の中溢れています。
私達人間が最終的に得たいのは確かに”幸せという状態”です。でもこれ”状態”なんです。豊かさや満足感・安心感に包まれた状態のことを”幸せ”と呼びます。
私達は表現したくてこの地球に生まれてきました。心(感情)の願いを思考を使って「どうやったら叶うか」考え、体を使って行動で自分を表現する。その結果得られるのが”幸せ”です。幸せはただの結果。あとからついてくるモノ。
幸せの為に・幸せになる為に、こう言っている間は必ず何かを犠牲にしています。大体自分が一番大切にしているコトが犠牲になっている。でもエゴ(生存本能)で気づかないようにしてるという・・・。
気付くと都合が悪いからね。
分離の世界の”素直”は見えない暴力。
2023.9.19
”周りと上手くやる為の私”と”本当の私”がパッキリ別れている分離の世界。そこで生きていると、言葉の意味合い(定義)が統合の世界とは全く違うことに驚きます。
素直になるって
思ったことを言う事・行動する事
と捉えていましたが、そもそも分離した状態での”思ったこと”って大体恐れからの発想で歪んでいるんです。本心からかは怪しいもんです。
さて、その歪んだ”思ったこと”を言う・行動に移すとどうなるかというと・・・十中八九不快な現実を引き寄せます。「ああ、やっぱり素直になんてならなきゃよかった」というような言葉が脳裏に浮かぶ結果になり、素直になるくらいなら我慢を選ぶ!ということになりがちです。
反対に自信満々で「ワタシ思ったこと何でもすぐ言っちゃうんだよね、素直だから」というのはただ相手を支配したいだけのエゴなので”わがまま”や”自分本位”など思われ、結果ほとんどの場合人が離れていくか、似たような人が寄ってきて利用するかされるかの人間関係を創ります。
どちらにしても分離界の素直は自分か相手が傷つく見えない暴力です。
自分を受容できるようになると、素直になるというのは、自分が自分に対してなんだということに気付きます。統合の世界に於いて素直になるというのは当たり前すぎて、そんな言葉すら出てきません。”なる”ではなく”なっている”状態。ただ在るだけでいい。素直に”なろう”なんて思いつきもしない。
あるものを感じるだけです。
帰ろう、エルダーシップ(長老)の時代に。
2023.9.18
もうリーダーシップの時代は終わりです。リーダーがいるということは、階級制=ピラミッド型ということ。上が下からエネルギーを搾取する制度は限界が来ます。エネルギーの一方通行とは崩壊が前提の不自然なシステム。トップはそれを何とか維持しようとしていますが、何かオカシイと気付く人たちが増えてきました。どんな小さなピラミッドでも保つためには”下の人間”が必要ですから大変ですね。
もともと世界はエルダーシップ。エルダーとは長老のこと。それぞれが叡智を分かち合い、繋がって循環していく世界。呼吸と同じ。吐いて(与える)吸う(受け取る)——自然なシステムです。呼吸をするように、自分の叡智を分け与え、だれかの叡智を受け給う。ずーーーーーっと続く循環の理。
でね、”あるがままの自分”でないと”分け与える”が出来ません。となると、受け取るもできません。あるがままの自分って
どんな自分も受け容れる自分、です。
決して”どんな他人も受け容れる”ではありません。”どんな自分も”です。他人は関係ない。自己受容ができてくると自然に他人のことも受け容れられるから。自分の中でダメだと感じている部分をひたすら認めるんです。私は自分の拗ねや傲慢さを見つけては何度も自分に嫌気が差し、こんなだから愛されないんだと自分を責め、それをまた更に受容するという、当時は永遠と感じた作業を繰り返しました。だから言えます。
必ず、軽くなる時は、来ます!
ある時から「うん、傲慢さ、あるね~」「拗ねてるな~」とあるものを、素直にあると何の抵抗もなく認められるようになります。そうなると同じような人とご縁が繋がるんですね。
エルダーシップに溢れた世界(調和の世界)はもう始まっています。
分離の世界と統合の世界。
2023.9.17
なんて言うと難しく聞こえるかもしれませんが、戦いの世界か調和の世界かというだけ。
戦いって誰と?それは自分自身と、です。周りと上手くやる為・今の生活を維持する為に本当の自分を押し殺す戦いです。外の自分と内側の自分が分離していると荒れた現実を創りだす=戦いの世界に生きることになります。
「自分はどう在りたいのか」そうやって常に自分へ意識を向けると、外側の自分と内側の自分が統合していき、繋がりを感じられると心地の良い現実を創りだす=調和の世界に生きることになります。
どちらの世界に生きたいですか?と聞かれると大体の人が選ぶのは「調和の世界」だって幸せでいたいもん!
そう。人間って必ず《快》を選ぶようになっているんです。《不快》からは徹底的に遠ざかるように設定されています《生存本能》で。
じゃあなんで調和の世界・自分の内と外が繋がった統合の世界に生きたいと思っているのに、いつまでも戦いの世界に居るのかと言うとそれはメリット(快)があるから。
戦いの世界に居る間は、いちばん自分が感じたくない《痛み》を感じなくて済む(と思い込んでいる)からです。実際は痛くてたまらないのを別の刺激で誤魔化しているだけなんですけどね。
エゴと言う名の生存本能の仕組みって本当に巧妙です。
6000人近く蒸してきてミエテきたことは。
2023.9.16
長くお客様を蒸してきて汗の出方・温まり方でおおよその性質、つまるところ生き方をなんとなく感じるようになりました。大きく分けて、尽くし型・激情型・孤独型・不安型の4つです。(あくまでも蓬屋独自の考え方です)
本来人間は一人ひとりみんな違うのに、分けようと思えば分類出来ることがオカシナ世の中だと思います。勝手な見解ですが《ルールで出来た世界に生きる》という共通の環境があるからこそ分類ができるんだろうなぁ、と。世界が自由100%であれば、きっとグループに分けるなんて出来ないんじゃなかろうかと思います。
そんな皆様を蒸していて持っていきたいのは《あるがままの貴女で生きていいんだよ》という世界。その人が抱えている独自の痛み(傷)の先にある”本当の望み”に触れた時、最高の汗の出方・温まり方になるのですが、私とってそれが何よりの喜びです。その瞬間、蓬屋の中がキラキラするんですよ、本当に。みんな赤ちゃんみたいなお顔に戻るのが愛おしくってたまりません!
素直が一番ですね♩
自分を救えるのは自分だけ。
2023.9.13
そして他者(自分以外の存在全て)が必要不可欠。
だれか(なにか)と関わることで感情が動き、自分の内側を観ることが出来る。逆を言えば、自分一人だと自分の内側を観ることが出来ません。いつも色んなお客様の世界観・価値観の分析をしていますが(←ご要望があれば、です)誰一人として同じ”痛み”の人はおらず、本当に私達って皆それぞれチガウんだなぁと感じ入ってしまいます。
私も含め、皆様共通しているのは『外に意識が向いている』ということ。度合いは違えど、現代の人は常にだれか(なにか)にフォーカスしています。いかにそれに気が付き手放せるかで自己受容が決まる、イコール豊かさを引き寄せる度が決まります。
知識や情報を取り入れても”気づき”は起きません。理解して初めて”気づき”となります。だから自分を救えるのは自分だけ。私はこの命をめいっぱい楽しみたいので、生きている限りたくさん理解(自分を受容)したいと思います。痛みの回避はもったいない!
母子という特殊な関係②
2023.9.12
「もぅやだ!」
そうなった長男をとりあえずタクシーに押し込み目的地に向かいます。車内は終始無言。拗ねた時は放っておくに限る――何年あんたの母親やってると思ってんの、という自分の思考の手前にある感情を探るとなんとも不思議な感覚。それは温かさ!
『こんなの親以外に出せないよね、出先で他の人にこんな一面出したら関係が破綻するわ』
『・・・ああ、そうか、私もお父さんとお母さんに遠慮なく出すもんなぁ・・・そうか、出せる相手ってすごい(関係性)なんだ』
『分かってよ!となんで分かってくれないの!?をぶつけるって”甘えてる”んだ』
長男を通して沸いたのは両親に対する新しい視点でした。温かさの正体は、ただただ『ああそうか、そうだったんだ』という発見できた喜び。
その後長男とはいつも通り、なんなら本人思い切り楽しんでました。これもまた『すごいよなぁ~謝罪なんてなくても元通りになれる関係って』です。改めて「なにが嫌だったの?」と聞いてみた所「せっかく一人じゃ入らないお店だったからまだ服見たかったのにお母さんがさっさと終わらせるから」という事でした。ひゃー!私はてっきりシャツを着ないといけないのが嫌だったのかと思い込んでいたのでビックリ。本当に人間って自分以外は皆他者。お互いがそれぞれの思い込みで生きてるんだなぁと再確認しました。
距離が近いとすぐ忘れちゃう。そして摩擦が起きて、でも不思議と修復できちゃう摩訶不思議な、特殊な関係”母と子”
お母さんという存在は、拗ねるという体験を心置きなくできる相手。そして私達は死ぬまで誰かの子どもということ。
自分が丸くなるのを感じる度にこの事実をただただ「すごいことだ」と受け容れるようになりました。
子どもたち三人とも、これからも安心して拗ねていいからね。泣こうが喚こうがどんなあんた達も大好きよ!
母子という特殊な関係①
2023.9.12
長男に会いに行く計画を立てたのは予定より2カ月前。行きたいところがあり「そこ一緒に行く?」と誘ったところ、同意を得たので予約をとるなど準備をしました。もちろん、どんな所なのか、ドレスコードの事だとか細かく本人に説明をして。
長男はフォーマルな装いが苦手でシャツもジャケットも持っていません。なので行く前に購入すればいいね、と話し長男も納得し当日の朝服を買いに行ったのですが――。「え・・・こんなの(シャツ指して)着ないといけないの?」「えー・・・ハァ・・・」とショップでまさかの難色。
「言ったやん~~わたし~~」と天を仰ぎながらエゴ(思考)がフル回転しているのを実感しました。あー今私どうしたら長男を説得できるか計算しとるなー、とか。買ってあげるんだから文句言うなって思ってるなー、とか。自分の感情を受容しつつ「サマーニットならどう?ゆるくて気持ちいいよ~」「これは?」など感情的にならずに提案すること数十分。なんとかシャツとカーディガンということで落ち着き、無事に購入してタクシー乗り場に着いた途端
「もぅやだ!」
と拗ねを露わにした長男。
即座に思ったのは「親子ってすご!!」でした。
続きます。
子どもへの執着がなくなると。
2023.9.11
先日、約半年ぶりに長男に会いに行ってきました。この春県外の専門学校へ進学して一人暮らしを始めた長男のアパートは見事な散らかりようで・・・とりあえず私の寝場所確保の為「片付けていい?」と訊くと快諾だったので到着早々2人で大掃除。床が見えてくると長男も嬉しくなったようで、3度拭きを自ら買って出るなどあっという間に綺麗な部屋になりました。
2日目の夜のことです。少し前に長女から「親は時々会うくらいが丁度いいわ~」と言われたことを笑い話で話題にした所「うんホントそれ」「掃除とかゴハンとか色々してくれてアレだけど時々が丁度いい」との長男の発言に「そうよなぁ~」と素直に思えた瞬間、子離れが順調な事を感じ嬉しくなりました。私、出来てるんだ!と。
昔の私なら「は?これだけ仕送りやら色々してあげてるのに何その発言」くらいは軽ーく沸いたことでしょう。以前は「私が言うのは良いけど、子供が言うのはダメ!!」みたいな思考(これも執着心です)があったので。自身の痛みと向き合えなかった頃のお茶目な私を懐かしく思いました。
さて自分の丸さを感じた出来事はまだ続きます。
過去を基準にした生き方は。
2023.9.8
「あの時あんな目に遭ったけど、そのお陰で今の私があるから感謝している」なんてよく耳にするし、実際私自身も昔はそう思っていた時期がありました。
でもこれ・・・実は言い聞かせと言う名の逃避行動。この考え方で生きていると良くて”今”が最上級。”今以上”の幸せを感じるには難しい人生になります。過去を基準にして生きているから。
あの不幸のお陰で今の幸せがある。
→幸せになるには不幸を体験しなければ
・・・不幸が前提の生き方です。
まず過去のその出来事を”不幸”と捉えていることに気付くこと。事実を事実として捉えたら、幸・不幸はありません。その出来事に自分がどう感じたか、ただそれだけです。
「以前人に裏切られて散々だったけど、それがあったお陰で色々気づけて~~」は手放しましょ♪それを言っている限り、その人生パターンは変わりません。
嫌な思いをしたから魂のレベルが上がった、は
嫌な思いをしないと魂のレベルが上がらない、と同じです。
※ちなみに魂にレベルなんてありません。皆同じ、ただただ光です。
深く傷つく出来事を体験しては「おかげでワタシ大きな気付きがあったの!」とドラマチックに生きなくても、日常で気付きを得て”自分が本当に望む人生”になれるんです。
痛い目に遭って人生大逆転という考え方はもう終わり。
これからは誰もが日々の生活の中で自己受容し、穏やかに自分の世界を愛で満たしていく時代。
さあ、9月はデトックスの月!
手放し・書き換えには最高の一ヵ月です。いつまでその古いプログラム(概念)で生きますか?
ブログ再スタートです。
2023.9.7
「ブログってもう書かないんですか?」とお客様から言われ続けて約2カ月。書きたいけど世間一般のブログのサイトだと書きたいことを書けない(すぐ削除される)どうしたもんか・・・と思っていた所
「ジンドゥーならブログ機能付いてるよ」と仲間から朗報が。早速ホームページごとお引越ししました!
ん~~~やっぱりパソコンからだと書きやすい。これで好き放題書けます。
楽しみにしてくださっていたお客様皆様、大変お待たせいたしました。また日々感じた事をあれこれ綴っていきたいと思います。よろしくお願いします♩