8/30は台風の為、臨時休業します

蓬屋日記

9月は夏の不摂生の答え合わせの月

2024.9.1
今日から9月。夏の間に溜め込んだ疲れや毒を身体が外に出そうとする1ヶ月です。最上寺からするとお盆から秋のお彼岸(秋分の日)の間に霊障を受けたり体調を崩す人が多いので、見える世界からも見えない世界からも9月は中々に重要と言えます。
立秋(今年は8/7)を迎えると、どんなに猛暑だろうが身体は秋に向かって変化していきます。冬を越すための、とても大切な準備期間。なので早い方は立秋を過ぎるとフラフラきたりクラクラしたり熱を出したり何かしら不調という形で毒出しが始まるようです。
でね、そういった症状が出たら どうか嘆かないでほしいのです。「あーきたきた」くらいに受け止めてください。すると割りと早目に終わります。
そんな呑気な事言ってられない!休めない!という方は冷え取りをして毎晩いつもより1時間早く寝てください。冷え取りの提案としては
・白湯を飲む
・腹六分にする(特に夜)
・ハラマキをする
・足湯をする
・足裏を揉む(麺棒やゴルフボールがオススメ)
・子宮と仙骨を温める(小豆のチカラや蒟蒻カイロで)
などなど、ホームケアが難しいようであれば、ぜひヨモギ蒸しを♫タイで良質なハーブと出会えたので、期間限定で“17種類のタイのハーブ蒸し”始めました(^^)芯の芯から温まるので、この不安定な時期特にオススメです!

感謝はするもんじゃない、湧くものだ


2024.8.29
感謝しろ、と育てられ何も疑問に思わず「感謝しなきゃいけない」と大きくなった。”感謝をしているパフォーマンス”がめちゃくちゃ上手くなった。相手の反応からして、これはきっと正解なんだと思っていた。でもすればするほど虚しさが付いて回った。そのパフォーマンスをしなきゃ伝わらないことにも、そのパフォーマンスの精度を常に上げないと相手から反応が返ってこないことにも疲れてしまった。
だから数年前に感謝することをやめてみた。
アリガトウの大安売りをやめ、喜ぶ素振りをやめ、お返しをやめた。そしたら本当に嬉しくて思わず感謝の言葉が口に出る、という体験が増えた。そんな中、フと気が付いたのが「感謝をすれば感謝が返ってくるはずだ」という自分の中のルールだった。使い古されたそのルールを辿っていくと出てきたのは
私は、お母さんに”産んでよかった”と思われたかった
という願い。
一回でいいから「産んでよかった」を聞きたかった。私の存在を認める言葉を。だから感謝運動を人生掛けてやっていたんだと繋がった(私の中で”感謝される=あなたが居て良かった”が得られるから)母に貰えないから他の人で埋めようとした。そら埋まらんわ。
そして重大なポイントが”私がお母さんに「産んでよかった」を言わせないようにしていた” こと。私が、言わせないようにしていた。この視点にやっと立てたー!
欲しいのに、手に入らないようにするこの矛盾。生存本能って本当にスゴイ。
母親から、産んでよかったと思われようが、産まなきゃよかったと思われようが、私が私であることに何の関係もなかったんだ。私の命の輝きは、外からどう思われようが減りもしないし増えもしない。常に変わりなく輝いている。と、この一連の流れが腑に落ちたのは、タイへ行く前の晩。だからかな?旅全体がギフトそのものだと感じられたのは。
しかしまぁ。お母さんから「産んでよかった」って思われたかった、だなんて。私の中にそんな願いがあったなんて。なんて可愛いんだろうか。 

 映画【ラストマイル】を観に行ってきました


2024.8.29
先日、長女に誘われ【ラストマイル】を観に映画館へ足を運んできました。この映画を観るにあたり「アンナチュラルとMIU404(どちらもテレビドラマ)を全部観ておくように」と、春先に長女から言われていた為、ネトフリで制覇したばかりの私には大興奮の上映時間でした。なにが嬉しいって、アンナチュラルやMIU404のメンバーがスクリーンに映るたび『あ!!』とか『きゃー!!』とか胸の内の興奮が、他のお客さんからも感じられたこと。一体感ってやつは命からの歓びなんだなぁとシミジミ思いました。これが本当の”分かち合い”なんだろうな、と。ガラガラの映画館が好きだったけど、観客が多いのも良いもんだな、と初めて思えたことも収穫です。
肝心の映画はというと、ストーリーも良く出来ていて、なにより演技が自然な人ばかりで面白かったです♪私は”親が子を想う気持ち” ”子が親を想う気持ち”に凄く反応するようで、やっぱり自分を投影して観てしまいました。生きている間にもっと素直になりたいもんです。家族にも、誰に対しても^^

 チェンマイ(タイ)でカルサイネイザンを受けてきました


2024.8.26
サワディカー!夏季休業中どっぷりチェンマイを堪能してきました。亜熱帯性気候であるはずのタイですが、日本よりも涼しく(暑さの質が違う)圧倒的に過ごしやすい事にビックリ。やっぱり近年の日本は何もかもが異常なんだなと改めて感じました。
チェンマイに着いた初日から帰国するまで毎日、タイ古式マッサージ、チネイザン、ハーブサウナ、カルサイのどれかを受けるという極楽日程だった今回の旅行。プロデュースしてくれたのは蓬屋でおなじみの薫ちゃんです。おかげでずっと健康で二人とも毎晩爆睡・日に3回お通じが(しかも毎度同じタイミングで)出るという最高の旅でした。
その中でも目玉はエヨ先生のカルサイネイザン。腹部内臓および生殖器周辺部位の施術です。膣から指を入れ子宮の内側から解し、緩めるこの施術。血流が悪かったりエネルギーの流れが滞っているとかなり痛いらしく、ドキドキしながら受けた結果、痛くもなんともなく半分寝落ちしてました。ただ、うつらうつらする中で子宮左側の線を解されたとき「あ、血流が良くなった」と感じた瞬間左下半身が温かくなり、その温かさは帰国した今でもまだ続いています。右と比べたら左は流れが悪かったようです。終わった後エヨ先生から「子宮は問題なし。ただ臓器の奥深い所が冷えている」と言われました。10年前の私なら表面もガチ冷えだったろうな。ずいぶん長い事自分を虐げてきたので「あとは奥深い所か」とホッとしました。
受けた感想は、やっぱり女性は子宮が要なんだな、と。そして腹とか子宮とか体の中心から解すと話が早いわ~といった感じです。終わったあとにエヨ先生とパチリ。ちなみにワタクシ、現地の人と間違われました。想定内です。 

 それは”共感”じゃなくて”同調”


2024.8.11
『わかるわかる~』は共感じゃなく【同調】です。分かるわけが無いんです。相手の気持ちは相手にしか分からないから。そして『わかるわかる~』の後に何が続くかというと
『実は私もさ』と自分の話をし始める【乗っ取り】
もしくは『それでそれで?』と詳しく聞き出す情報収集の為のさ【詮索】
または『そういう時はさ、こうしたらいいよ』という【アドバイス】
だいたい誰かとの会話は、同調・乗っ取り・詮索・アドバイスで成り立っています。トキハ会館のアフタヌーンティーに小一時間ほど居ると上記4パターン全部聞こえてきます。
これの何が凄いかというと確実に盛り上がるんです。そしてね、疲れるんです。そう、疲れるんですよ。たぶん「じゃあねー」と解散した時はこう思うでしょう「あー楽しかったぁ」と。疲れを感じたとしても”楽しい疲れ”と思い込み、気づかない。でも思い込みが効くのは35歳くらいまで(蜷川調べ)それ以降は段々と『人と会った後はなんかグッタリ』になってくるはず(蜷川調べ)
上記4パターンでの会話で実際何が起きているかというと、お互いの”エネルギーの奪い合い”です。尚且つ不幸話が膨らむから それがまた現実で起きるというオマケつき。じゃあどうしたらいいのかというと、気づけばいい。「私ったら自分のドラマに酔いしれてる!」「私ってば相手のドラマに思いっ切り入り込んでる!」って。そしたら4パターン以外の会話が出来ます。”これはドラマだ”という認識で会話に参加すると巻き込まれなくて済みます。
今/この瞬間/目の前で/起きてもいないことを話すのは《事実ではなく妄想》
ただのドラマ。
そのドラマを真に受けて、更に自分の脳内で作られたドラマで返事をする。そこには事実も真実もありません。ドラマに嵌っている時【同調】【乗っ取り】【詮索】【アドバイス】は最高の合いの手で、否が応でも盛り上がります。私は4つ全部得意でした。ただ、それで得られるのって興奮で幸せとは掛け離れるんですよね。自作ドラマで盛り上がっている間(同情か承認を欲している間)はエネルギーの奪い合いだから。会話なんて成り立ってないんですよ本当は。会話や対話が成立している時ってエネルギーの循環が起きます。それは共感からしか生まれません。共に感じる関係。たぶん誰もが欲しいんじゃないかな。 

エセ喜びにご注意

2024.8.8
先日、すっごく嬉しいことがあった。
”どうせ人は私から離れていく”という信念(ルール)がある私。実際には私自身が人が離れるように生きていたのだけど、そんな事を知らない頃は誰かとご縁が切れることがこの上なく痛く辛かった。
そのルールが緩んできたのか最近は誰とどんな関係になろうが”離れていく”という感覚にならない。そんな中、1年ほど前ご縁が遠のいた方から連絡がきた。久々に会って本当に嬉しく、聞けば彼女は今とても困っていて「蜷川さんに会いたくなった」とのことで嬉しさが増した。ところが話を聞き、彼女の痛みを分かち合っている間、ずっと自分自身に違和感があった。「楽になったわ、ありがとう」と泣き腫らした目で笑顔の彼女を見送った時も返事をしながら自分自身にザワザワした。意識してみると興奮している自分を感じた。書き出して分かったのは”お役に立てた喜び”と”勝った喜び”がある、という事だった。どうも私の中で”離れていった人が戻ってくる”というのは”勝ち”らしい。びっくりした。あーだから私は得意気に喋ってたのか…調子に乗ってる感じがしたのはコレか…とシミジミ自分が感じた違和感を言葉にしていく。恥ずかしい。
結果出たのは「やっぱり私は小物だ」「私は器が小さい人間だ」という信念だった。めちゃめちゃシックリきた。私は大物になりたかったんだ。器が大きな人に。その為に大丈夫風を装うという行動に出るんだ。小物で器が小さいのを誤魔化したくて。
彼女との一件で感じた喜びは、私が本当に欲しい喜びじゃなかった。ただの興奮だった。だから体に違和感が走ったんだ。改めて心と体と思考の連携に感動した。補足すると興奮が悪いわけではない。ただ、興奮は続かない、必ず冷める。興奮を幸せと勘違いしていると、また興奮を求めることになる。麻薬みたいなものだ。そして興奮するには外からの刺激=誰かや何かが必要だから大体依存がセットになる。自分の内側から湧く喜びとは真逆の性質だ。陰陽五行で心臓と繋がりがある感情は【喜び】 興奮しやすい人は心臓に病が出やすいのも納得だ。
ということは私は随分心臓が丈夫だったんだろうな。
興奮は、続かないモノ。
幸せは、続くモノ。

 1年間ワンピース6着で過ごす


2024.8.7
数年前クローゼットを”年間通じてお気に入りの服15着”にした。コートも喪服も併せて全部で15着+着物4枚。もし天皇陛下に呼ばれても着物でなんとかなるからフォーマルな洋服は喪服以外全部処分した。ところがところが。月日が経つに連れ、気が付くとなんだか服が多くなってる。先日数えてみると合計30着。いつの間に増えたんだろ。きづいた時が整理どき!という事で早速大処分することにした。
長期旅行でいつも感じるのが「ワンピース3着あれば大丈夫だな」ということ。あとは父の死後、実家を片付ける時に痛感したのが「物が多いと本当に大変」ということ。私が死んだ後、子供達を同じ目に遭わせたくない。そして私自身、物を余り持ちたくない。身軽でいたい。
それらを踏まえた結果ワンピース6着と、スカート1着、そして喪服と羽織モノだけ残し、あとは全てサヨーナラをした。半袖系のワンピが4着とニットワンピ2着。めっちゃ壮観!!ついでに10㎝ヒールのパンプス類も処分した。2年前に左足首を痛めてから「いつか治って履けるはず」と取っておいたが無理だと判断した。執着心は動きを鈍らせ運気を落とす。今の私に合う、素敵なペタンコ靴を手に入れよう。
結果は全部で14着。
気分上々だ。その直後、実家の売却が決まった。父の命日だった。 

 麴菌祭り


2024.8.7
先月、塩麹・玉ねぎ醤麹・ひしお麹・しょうが麹の4種類を作りました。暑いので発酵が進む進む!できあがってからは毎日朝晩、50℃のお湯に玉ねぎ醤麹をスプーン1杯溶かして飲んでいますが(コンソメスープみたいで超おいしい)飲み始めて4日目に綺麗な黄色いぷかぷかウンチになりました。人間って食べたもので体が出来てるんだなぁと改めて感動です。
あまりにも美味しいので先月末からヨモギ蒸し後にアフタードリンクとして召し上がって頂いている出汁スープに、塩麹を入れています。微量ですがきっと腸内では大歓迎されているはず・・・。他の麹たちもですが塩麹も毎日味が変わるので、麹菌達がその日のお客様に合わせてるんだろうな~と想像してはニヤニヤ。ということで、当分は塩麹入りの出汁スープのご提供となります♪まだの方、どうぞお楽しみに~

 

 暑い!そして平気!


2024.8.4
よもぎ蒸しを続けると基礎体温が上がる。私の最近の基礎体温は36.7℃。10年前は35℃台だった。その当時は糖質を制限し、毎日筋トレ+ランニング10㎞をこなし、健康的に痩せている”つもり”だった。けれど、不思議なことに体力が全くなかった。仕事から帰って一旦寝ないと動けない。特に夏と冬は”帰るとグッタリ”が強く、夏は日中よく立ち眩みを起こしていた。
今検証すると、何もおかしなことは無く「そりゃそーなるわな」と納得しかない。35℃台の低体温で、30℃超えの夏の気温に耐えられるわけがなく。通常人間は順応力があるので自然な状態なら外気温の変化にもある程度は対応ができる。でも不自然な状態 ――早い話が”便利に溺れた現代人”にはできない。
その頃の私には糖質制限などでエネルギーが枯渇していた不自然中の不自然な状態なので、外気温に合わせて体温を上げるなんて0.1℃でもヒィヒィだったろう。だからしょっちゅうクラクラ立ち眩みがしたのだ。
ちなみに今では室温34℃までは平気で過ごせる。と思って今温度を確認したら35℃でビックリ!去年よりも今年の方が楽で、汗をしっかりかきながら扇風機の風が当たるたびに「きもちいーなー」と感じる。自分の外側が、どんなに変化しようが”私は私である”と感じる生き方は本当に豊かだ。 

 満月には小豆を食べよう。

2024.7.21
今夜は満月。古来から満月の日には小豆を食べるという風習があります。小豆は赤いので魔除けとして伝わっているとのこと。そして昔から満月は生理が始まったりお産が重なったり、女性にはとても関りが深く、小豆を食べることで鉄分不足にならないようにしていた説もあります。
私は子供の頃から小豆餡が大好きで、ここ数年米麹と小豆で作る発酵あんこ(画像参照)を切らしたことがありません。炊飯器で簡単に大量に出来るので面倒くさがりの私でも続いています。甘いものが苦手な人は小豆茶はいかがでしょう?お赤飯もアリですね♪
夏は消化器官が弱くなる季節です。冷たい飲み物やアイス、焼肉などの重い物、辛い物が続くと胃腸が壊れてしまいます。生姜も体を温めますが胃が痛むときは控えましょう。小豆は体を優しく温めるので満月に関わらず、ぜひ日常で取り入れてください。
発酵あんこの作り方が知りたい方はお気軽にお問い合わせください^^ 

 働く気がない。


2024.7.17
半年ほど前、日中いつもどおりベッドでゴロゴロダラダラしていると急激に罪悪感がやってきた。やってきた、というより気づいてしまった、の方が近いかもしれない。
おそらくこれまでもゴロゴロダラダラしている時に罪悪感はあったのだと思う。けれど超天才的なマインドの力で、正当化と気づかないくらい上手い具合に正当化して感知しなかった。例えば「今週は沢山働いたなー」「先月はバタバタでやっと落ち着いたなー」「去年は本当に大変だったなー」しまいには「これまでの人生、怒涛だったなー」などの正当化はナチュラルすぎて気づけない。
”だから私、ゴロゴロダラダラ権利がありまーす” ”ズルくないでーす” ”ダメな人間じゃないでーす”と、思いたいがためマインドは必死で蓋(言い訳=正当化)をする。増税する(甘い蜜を啜る)には大義名分(口実)が必要なのと同じだ。
その蓋が効かなくなってきたのだろう。その日からしばらく、出てきた罪悪感  ”休むなんて許されない、だって私は悪い子だから”を『あるなぁ~~』とひたすら感じた。エネルギーは感じると癒えていく(私は流れていく感じ) 日に日に罪悪感は出なくなり、それ以降は生まれて初めて心から楽しんでゴロゴロダラダラ出来るようになった。嬉しかった。
ところが先週。ゴロゴロダラダラしていると、チリッとかすかな違和感があった。なんか私…ゴロゴロダラダラにどこか制限を掛けてる…。制限があるゴロゴロダラダラは真のゴロゴロダラダラではない。なんだろう?と感じてみると、ハイ出ました。
無気力にならないようにしている
「そっか!私、ゴロゴロダラダラが行き過ぎて無気力な人間になるのが怖いんだ!」無気力な私はダメだ、が在るんだ。これは今の私じゃなく、過去の無気力な私だな、と識別も出来た。そしてオモシロイものが出た。
働く気が無い
どうも私が働いているのは「無気力な私になりたくないから」という恐れからのようだ。ビックリ。確かに働くには気力が多少なりとも必要だから無気力にはなれない。そっかー、私は”働く”も回避行動だったんだ。物心ついたころから無気力で生きてきたので(諦めて生きてきた→それを感じたくなくて明るく動いて誤魔化していた)その頃の惨めさや絶望感無力感はたっぷり在る。今の私なら受け止められるから出てきたんだと感じた。
働く気が無い、を認めたらその日から働くことがめっちゃ楽になった。ぷくく、私ったら働く気が無いのに起業したんだ。じゃあ働く気が出たらどうなるんやろ?とニヤニヤしてしまった。
無気力な私はダメだ、か~。私は無気力って体験をしたかった。ただそれだけだ。また体験してもいいし、しなくてもいい。私は、選べる。 

誇らしさが湧いたお客様の話。


2024.7.16
自分の望みを口に出せる人は本当に少ない。「家族が困るし」「相手に嫌な思いをさせるし」「職場に迷惑がかかるし」「その後のことを考えたら無理だし」「普通こんなこと許されないし」と正当化して本心を誤魔化し、どうかすると望み自体に気づかないようにもする。私たちって超天才だ。
何故、望みを言えないのか?望むことを自分にゆるせないのか?その根本となる痛みや信念は人それぞれで、お話を伺う限り同じ人は一人もいない。
先月来られた時に”上の人には従順でなければいけない”という信念が見つかったAさん。なんとその後、職場の上司に「自分はこうしたい」を伝えた、そしてその自分の要望がスンナリと理解され通った、と。今日、そのお話を聞いて私の両腕に鳥肌が立った。言える人からすると些細なことだろうが、想像してみてほしい。自分が「これだけはしちゃいけない」と思っていることをする時にどれだけ勇気が必要かを。
「言った自分を、どう感じます?」と伺った所、少し間をおいて「誇らしい」「(自分を)誇らしく思う」とキッパリ言ったAさんの美しいこと!その言葉を聞いた瞬間、胸が震えた。自己尊厳ってやつは周りをこんなにも安心させるんだなぁ。「おめでとう!!Aさん!!」と、そのあと何度も言ってしまった。嬉しすぎて。
願いを口に出すというのは
思ったことを言うのとは違う。
願いを口に出すということは、感じたことを表現するということ。嘘が無い。こんな人が増えてきた。私の世界は最高だ^^

糖質制限をしているお客様が続いた話。


2024.7.15
ここ最近のご新規様殆どが糖質制限をしている人だった。その内の半数が10年以上糖質制限生活をしており、皆様口をそろえて「汗をかけない」と言う。そりゃそうだ。汗をかくにはエネルギーが要る。糖質制限をしていると体温維持すら難しいのに、汗なんか出せるわけがない。体からすると「生命維持をするためにギリギリなんだ、汗なんかだせるかコノヤロウ!」といったところだろう。稼ぎが無いのに船を買ってきた父親を思い出す。
どんな生活を送っているかお話を伺っていると、つい『死ぬよ』と言いたくなる。要は過去の自分を助けたいのだ。ということは、糖質制限をしていた頃の自分の負の感情が未成仏ってこと。
糖質制限自体は悪くない。
良くもないけど。糖質を制限するという、ただそれだけだから。けれど”それに固執している状態”は、重い。重いと体は冷える。体が冷えていると心と思考は固くなる。誰かの意見なんて聞きたくないし、誰彼構わずジャッジしたくなる。批判したくなる。
自分は間違っていない”はず”だから。
ああ、未成仏なのはコレか。

糖質制限を長くしているお客様に よもぎ蒸しをする時は温めない。ずっと低体温で生きてきているのでガンガン温めると熱が上(脳)ばかりに行き、倒れる恐れがあるから。弱火と中火で温度調節をしながら「一応お伝えしておきますね」と前置きして私の体験談を話す。自分も4~5年糖質制限をしていたこと。よもぎ蒸しと出会って摂食障害と糖質制限を止められたこと。糖質制限を止めてご飯を食べ出してから12㎏体重が増えたこと。怖くてたまらなかったこと。でも周りに優しくなれだしたこと。そしたら増え止まりが来て、食事はそのままなのに勝手に体重が減ったこと。もう何年も体重を量っていないから分らないけど、増えても減っても無い感じだということ。
彼女たちの反応は様々だけど、12㎏増えたと言ったとき皆一様にして顔が引き攣る。やっぱりそこだけ切り取っちゃうよね。そして「やりたい間はやったらいいよ」とも伝えている。止められない心境も解かるから。おそらくこれから筋トレの回数は更に増え、もっと厳しく糖質制限をしていくだろう。もしかしたら死ぬまでそれで生きていくかもしれないし、途中で気が済んで止めるかもしれないし。
どっちもいいよね、と。
そう伝える度に過去の私と繋がった気がする。私は私を受け入れたのかなぁ?そうだったらいいな。

 〈よもぎ蒸しのコツ〉冷え切った体を芯から温める蒸し方 夏編

2024.7.13
よもぎ蒸しで体の表面を温めるのは至極簡単。とにかく熱を当てればいい。でも、芯が冷え切った肉体は表面が温まってくると途端に「熱い」「もう無理」と脳が指令を出してくる。内側が温まらないうちにギブアップを宣言してくる。ここで自分に言い聞かせて蒸し続けるとストレスになる。「健康の為に」「せっかくお金払ってるんだから」と正当化しながらする健康療法は不健康療法。確実に病気を作る。
毎年梅雨から秋分くらいまで、クーラーで体の芯の芯が冷え切ったお客様が続く。最近は一日全員がそれ ということも珍しくない。クーラー冷えのお客様の蒸し方のコツは表面の温度を上げすぎず(熱い・もう無理と脳が指令を出さないようにしながら)内側を温めること。

  1. とりあえず中強火で蒸して様子見。5分経っても汗が出ないor汗が出ても顔が赤くなる場合は中火にする
  2. 冷えを感じている場所に古代布を足す。足先なら内側に一枚足す。背中や腰であれば上から羽織る。5~10分ほど様子見。
  3. それでも汗が出ない場合は2を両方する。足だけだったら背中に一枚。背中だけだったら足に一枚古代布を足す。そして風を当てる(これ超大事)扇風機の首振り機能で適度にお客様に風が当たるようにする。
  4. 汗が出始めたら火力を下げずに(これ超重要)布を一枚ずつ外していく。
  5. 頃合いを見て背中蒸しに移動して終了。

汗が出始めたら

  • 体力がありそうならジャンジャン出す
  • 体力がなさそうならそれ以上は出さないようにする

それによって古代布の外し方や背中蒸しに移動するタイミングを変えています。いくらご本人が「大丈夫!」といっても汗を出しすぎない方が良いと判断したら無視です、無視。
わたしが目指すのは《家に帰っても温かさが持続する よもぎ蒸し》
表面だけ温めても意味が無い。家族や職場の人の意向でクーラー地獄の日常に戻っても”私の芯は温かい♪”が続く人が増えていったらいいな、と思います。体の芯が温かいと心もマインドも軽くなるから。そしたら世界は楽園になる!

※ビニールマントでのよもぎ蒸しの際は参考にしないでください。おそらく高確率で熱中症のような状態になります。古代布だから出来る蒸し方です。
※ビニールマントで芯まで温めるなら”足湯をしながら背中を温める”が一番効果的でした(室温26℃がベスト)




 

父が死ぬまでに間に合った話。

2024.7.8
2年前、両親が離婚した。
熟年離婚ならぬ老年離婚。そのあとが大変だった。父も母も、お互いが「自分悪くない」を主張し財産分与がどうの名誉がどうので揉めに揉めた。元気な年寄りだ。元気ではない若者の私は2人の間に入って日に日に衰弱していった。連日実家へ行き、怒り狂う父を宥めていたある日、限界が来ていた私は生まれて初めて父に本音を言った。言ったというか漏れた。
「私はお父さんのサンドバッグじゃない」
「私はこんな思いをする為に生きてるんじゃない」
父が黙った。
泣いたら負け。小さい頃作った信念(ルール)が、この時崩れた。私の両目から涙がボロボロこぼれおちる。泣いたら負け。泣くと更に酷く怒る両親の下で、子供の私がそれ以上怒られないために編み出したルールが壊れた。
「子供の時、お父さんから殴られたり蹴られたりするの、ほんとうに嫌やった。怖かった」
「わたしは大切にされたかった」
最後のセリフは途切れ途切れだった。でも、言えた。ずっと言いたかったこと。涙も鼻水も止まらず肩で息をしていた私に父が言った。
「覚えてねぇ」
は?あれだけのことしてて覚えてねぇ?思考が停止した次の瞬間、父が両手を付いて頭を下げた。
「覚えてねぇんじゃ。あの頃のお前に謝りてぇ。すまんかった。」
「本当にすまんかった。」
頭を下げたまま父がそう言った途端、私は3歳児みたいに声を上げて泣いた。
泣いても怒られなかった。
父も泣いていた。「おれには泣く資格がねぇ」と言いながら。
それから1年半後。
昨年の7月に父は死んだ。
亡くなったとか、他界したとか言い方は色々知ってる。けれど ”死んだ” が一番しっくりくる気がする。もったいぶった言い方をする相手に「はっきりモノ言わんか!」と喰ってかかっていた父だから。
生まれて初めて父に本音を言えたあの日。私は初めて娘になれたと感じた。父も初めて父親になれたんじゃないかなと思う。間に合ってよかった。生きててよかった。

 汗の出方。


2024.7.7
11時のお客様が発熱の為、急遽キャンセルになったのでブログを書きます。私はいつも急なキャンセルが出ると友人に手紙を書く。もしくは父か母に、出さない手紙を書く。でも今日はブログが書きたくなった。朝一番のお客様の汗の出方が、それはもう素晴らしく、美しく、惚れ惚れしたから。何の迷いもなく自分を生きている時の汗の出方。自分自身を楽しんでいる時の汗の出方。こういう温まり方って、本人は全く意識していない。そしてそこに何の執着も無い。これを読んで「私の汗の出方はダメなんだわ」「私が温まらないのは執着があるせいだわ」という思いが脳裏をよぎったなら、すかさずキャッチして頂きたい  ”なぜ、そう思ったの?”  と。
汗の出方に良い悪いは一切ない。
出ないなら「出ないんだね」出るんなら「出るんだね」
ただそれだけだ。
常に自分は、ぜったいに最高最善だから。
汗が出ない自分も最高最善。汗が出る自分も最高最善。そして今朝のお客様はそのどちらをも”ゆるし”た汗の出方だと感じた。ゆるす・・・許すではなく”ゆるす” 
それは受容でありパワーでもある。
いやぁ、気持ちのいい時間でした。あ、ふとん取り込まなきゃ。
 

 沖縄の温泉で4人の おばぁ と過ごした話。


2024.7.6
先月行った沖縄での2日目。かおるちゃんはナンチャラとかいう講義に行き、私は一人で”猿人の湯”へ。沖縄のユタさんや全国の霊媒師さんたちから「抜ける」と評判の浄化の温泉。私は霊感が無いのでそこら辺は全く分からないけど、温泉大好きなので今回の行きたい所リストに入れていました。知らない土地を一人で車を走らせるの、ほんとに気持ちいい~!!と、30分くらいで到着。
宿泊客以外の利用は1回1800円。受付を済ませてワクワクで入った大浴場は、赤く濁ったお湯に窓の外は中城湾!高台から望む海!いやぁ絶景かな絶景かな。しょっぱいお湯にいいだけ浸かり、いったん出ようかなとした所「あい、どこから?」と第1おばあに声を掛けられました。「大分からです」と答えると「ああ、内地からね。遠いね。40代?50代?」と次の問い掛けが。40代だと答えると「そうね、こどもは?何人?」と終わらない(笑)気が付いたら第2のおばあも会話に参加しているし・・・。そして聞き取れたのはここら辺まで。そこからは①方言強い②歯が無い③浴場のエコーの三拍子×2人で
【クイズ何を言っているでしょうか】になってしまいました。おばあ2人強い。私はひたすら当てる係。ひとしきり話し込んだあと、おばあ達は水風呂に行き、私も出ようとしたその時です――「あい、どこから?」あれ?デジャヴかな?第3のおばあ登場。そして返事をしている内に気が付いたら おばあ増えてる。第4のおばあは長崎出身だというところまでは聞き取れましたが後は全滅・・・うちなーぐち、解かるようになりたいなぁ。第5のおばあに捕まる前に出なきゃと脱衣所の時計を見てびっくり。4時間経っていました。わはは。ほんとうに豊かな時間でした(夜、薫ちゃんに大笑いされたけど)
猿人の湯、温まりが早いのと持続時間が長いので冷え症の方お勧めです! 

※画像はホームページよりお借りしました

ふとん、干してますかー!!

2024.7.6
晴天続きの大分県。わたしは毎日ふとんを干しています。特に敷布団は、干せば干すほど運気が上がる・災厄を除けると言われるので気持ちよく眠れるうえに開運するなんてイイコトだらけ!ベッドの方はベッドパッドや敷パッド、シーツを日に当てるだけでも構いません。
菩薩様が、鬱の方には必ず「朝日を浴びよ」「布団を干すとよい」と仰います。なんか最近落ち気味だな~という時は布団を干したり洗い立てのシーツに取り換えたりしてみてください。
日中仕事で布団を干すなんて無理という方は、室内の日が当たる所で椅子の上に布団を掛けるといいですよ。
お日様って最強の邪気払い。
日光に当たったお布団は太陽のリズム(周波数)を取り込んでいるので、寝ている間にカラダも整います。中にはそれだけで冷えが軽くなる方も♪
日の当たり方にもよりますが、敷布団の場合、夏場は午前中に干して正午12時に取り込むのがオススメです。わたくし昨日うっかり14時まで干してしまい、夜眠るときにカチカチ山でした・・・背中があっちぃあっちぃ。冬場は14時まで干して丁度いいのですが夏場は12時くらいまでが最適ですね。だから今日はもう取り込み済み^^っと、そうそう人間も日干しが必要です!!!
梅雨時期を過ごしたカラダは水気が重く溜まっているので(特に女性)
いったん芯から汗を出しましょう

  • 汗が出ない方
  • 汗が臭う方

蓬屋へ是非どうぞ~
お待ちしています。

 全裸で海に浮かんだ話。


今月は2泊3日のプチ旅行に何度も行き、いろんな出逢いを満喫しました。毎週のようにあっちこっちへ行きましたが、いちばんカラダが喜んでいたのが沖縄。「なんか海に浸かりたいな~・・・!!そうだ!沖縄行けばいいじゃん✨」で急遽決めたわけですが、それがちょうど よもぎ蒸し仲間の薫ちゃんと福岡旅行の時。「再来週、私、沖縄だからその時にして!会わせたい人がいるから!」という彼女の提案に乗り、あっちゅーまに日程が決まりました。
    そして迎えた旅行当日。夜、那覇空港に到着した私はそのまま薫ちゃんを拾い、言われるがまま車を走らせ連れていかれたのはヤハラヅカサという海。ちなみに真っ暗。人家や街灯だとかが一切無く、あるのは空いっぱいに瞬く星だけ。そして、その空もドーム状。スマホのライトという文明の利器に頼りながら進むと焚火の明かりが目に入り「おーい」という声が!薫ちゃんの言ってた”会わせたい2人”が先に着いて火を焚いていました。沖縄でフリースクールをしているアヤコちゃんと、舞台女優をやっていたアヤメちゃん。あれ?わたし人見知りが発動してないな、と気が付いた時には4人で海に浮かんでいました。全裸で。月明りと星明りの中、4人で仰向けになってプカプカプカプカ。なーにも話さない。プカプカプカプカ。海の温度はぬるーくて、浮いてて、素っ裸で、ひとりじゃない安心感・・・お母さんの子宮の中ってこんな感じだったのかなぁ?と思わず口に出したら誰かが「きっとそうだよ~」ってのんびり返事をしてくれました。
ちなみに今回の旅行の持ち物は、財布・スマホ・充電器・化粧ポーチ・水着・ビーサン、のみ。着替えゼロ。海から上がった私は着てきた服を着るしかない。そしたらアヤコちゃんが「沖縄に居たらズボッと着るワンピースは必須だよ~!わたし何故か今2枚持ってるからコレあげるよ~」と。え?なに神様?あんた神様だね?と躊躇なく貰うことにした自分にもビックリ。昔の私なら「いやいや大丈夫!!」と言い張り、絶対受け取らなかっただろう。”初対面だし”とか”申し訳ない”とか”お返ししなきゃ”とかが発動して。そして意を決して受け取る選択をしたとしても”恩”を感じただろうな。書きながら笑いが込み上げてきちゃう。ついでだから言いますが、恩って重い。恩を感じている間は相手に感謝は届かない。いくら「感謝しています」と言い、お礼の品を渡したとしても。
そんなこんなで濃密な沖縄初日でした。

スコーンと夏至と満月と。

2024.6.22
あっという間に6月も後半。なんなら1年の半分を迎えようとしています。早いですね~。しかも昨日は夏至、今日は満月という中々にエネルギーの強いこの2日間。生理になった方は恐らく いつもより経血量が多いことでしょう。夏至は1年で1番”陽の気”が強いとされるので”出すチカラ”が最高潮。内側に溜め込んだモノを放出する働き――ニキビ(吹き出物か?)や湿疹などで出やすいのですが、どうかお薬で抑えるのではなく可能な限り”出し尽くす”ように出来るといいなぁと思います。
感情面でも同じで、冬至は陰の気が強く落ち込みやすくなることに対し、夏至は怒りやすくなったり感情が高ぶり易くなります。ま、肉体面にしろ精神面にしろ半期に一度の棚卸ですので出る分には大歓迎したいものです^^
さて、私事ですが4月半ばくらいからスコーン作りに精を出しています。ここ2か月間毎日焼いて焼いて焼きまくり、しまいにはお客様から「よもぎの匂いが一切しなくなりましたね・・・」とまで言われるシマツ。。。消費が間に合わず冷凍庫はスコーンでいっぱい。。。出来上がりのタイミングが合ったお客様には持って帰って頂き、食べるのを手伝ってもらう日々。そして、ついに!ついに極めました(本当に何屋か分かんない)レーズンスコーンから始まり、最終的に落ち着いたのはホワイトチョコ×モカスコーン。完全オリジナルレシピです。いやぁ~気が済みました。微妙に美味しくないスコーンをも引き取ってくださった皆様、本当にありがとうございました!また何かにハマった時はよろしくお願いいたします☆ 

 人は皆、死ぬ時と死に方を選んでいる。


2024.5.29
人は、生まれてくる瞬間を選んでいるのと同じく、死ぬ瞬間も選んでいる
という説が、私はしっくり来るので信じています。そしてどうやら死に方も選んでいるとのこと。
”自分の現実は自分が創っている”のだから当然だろうなぁと感じます。まだ死んだことがないので断言ができませんが。
「自分の内側が外の世界(現実)を創っている」と、随分昔から説いている津留晃一さん。この津留さんの考え方が大好きで、一時期は毎日一日中書き写していました^^  癌で亡くなられたと巷では言われており、それを聞いた一部のファン?が「あんな凄い人が癌で死ぬなんて」となっていて不思議に思ったものです。
”癌で死ぬ”を選んだだけやん、って。
おそらく人間の生存本能で、自己受容や自己統合が進めば(宇宙の真実を知っていけば)老衰やピンピンコロリという穏やかな死?が迎えられるに違いない
と正当化しているのでしょう。要は

大往生な死に方が”善”である

というジャッジがあるのだな、と。それが善なら、痛みや苦しみや みっともなさ が伴う”死”は悪としているということになります。
どんなに善人ぶって生きても、傍若無人に生きても死に方は人それぞれ違います。それは、その人がどんな体験がしたいか?によって決まるだけのこと。死に方だけではなく死ぬ時期も同じです。
早くに死ぬという体験を選ぶ魂もいます。早いから可哀想、は人間だけの感覚です。あちらの世界――大元の世界・絶対無限の存在・意識エネルギー・ソース――からすると、そちらが本体で、今この”現実”と呼んでいる世界の方は本体が夢をみているようなものだそうです。願えば何でも叶う世界で肉体を使って遊んでいる夢(願っても叶わないという刷り込みで遊びをもっと面白くさせているらしい)
現実はホログラムだと言われる所以ですね。
「若くに死んで可哀想(=だめなこと・避けたいこと)」は人間――人の間――だけの感覚で、あちらのエネルギー体からすると”素晴らしい体験の1つ”という感じになります。
話がそれましたが、自分が自分の死ぬ時と死に方を選んでいる、としたら。死は勝手にやってくるものではなく、能動的に選べるものになります。だから怖がらなくていいということ。これが腑に落ちたら誰かの死も怖がらなくてよくなります。だって皆、自分で選んでいるのですから。
誰の死も、あなたのせいではありません。
ちなみに死ぬ時ってハートが「もう十分体験したから、あっちに帰ろうかな~」となった時らしいです^^ 子供がたくさん遊んで「おうち帰ろうっと♪」となるのと同じなんですって。
 
津留晃一さん
http://www1.ttcn.ne.jp/turu/sub3.htm

 え?「ぶっちぎりでトップに立ちたい」?


2024.5.27
昨日は営業日。とっても濃厚なお客様ばかりでした(笑)その中のお一人「もう戦いたくないのに現実で悪人が現れる」というY様。この一文でも世界が敵と味方に分離していることが良く分かります。内側に何があるんだろうね?とお話を伺っていくと”滅びる”とか”敵”とか”攻撃される”とか、出るわ出るわ”戦いワード”
もしかして勝つなら圧勝とか、ダントツで1位じゃないと許せないって信念があります??と訊いたところ
「ぶっちぎりでトップに立ちたい」
「僅差で1位とか嫌い、意味が無い」
と、即答でした。ご本人も言いながら可笑しくなったのか笑いが込み上げ、私はすでに笑っており「こんなの持ってたんだ」「そんなの持ってたんだ」「これで戦いたくないとかよく言うわ!」と二人で大爆笑!そりゃ戦いの現実がやってくるよね~。
でも・・・・やはりその奥に在ったのは、戦いたかったわけじゃない小さな女の子でした。”ぶっちぎりでトップ”を叶える為に相当な犠牲や我慢を支払ってきて、もうその生き方はシンドイと言っている小さな女の子。長くなるので端折りますが、その生き方を選んだ根っこにあったのは「おとうさんを たすけたかったのに たすけることができなかった」無力感でした。
「今までで一番腑に落ちたー!スッキリしたー!!」と仰ってたお顔が柔和で綺麗で可愛くて、こちらまでニッコニコ^^
足先もしっかり温まったようで安心しました。
”今、この時のワタシの最深部”まで行けると本当に気持ちがいいですよね~。そこに触れる直前が一番痛いですけどね。「これが痛かったのかぁ」って観てしまえば、もう怖くもなんともなくなる。そしてその瞬間からまた次の痛みへの旅路が始まる。人生ってこれの繰り返しなんだと思います。分離していたワタシを見つけて繋がって戻っていくって、おそらく肉体が感じる中で一番の歓びじゃないかしら?
離れていたもう一人の自分と一緒になる幸福感って、ほかでは得られないもの。
 

パワハラをする側には何があるの?

2024.5.27
前記事の”下手に出る側”には”パワハラする側”が必要になります。「よくパワハラを受けるんです。。。」「いじめられるんです。。。」という人は、自分が下手に出る行動をしている自覚をすると共に、パワハラ役の人が何を持っているのかを知ると理解に役立つかと思います。
自分の機嫌でルールを決めて変えて、言う事を聞かないと脅しにくる。でも自分が悪いなんて1ミリも思っていない。思う通りにならないと怒鳴って喚いて癇癪を起こす あからさまな支配者の いじめっ子 が大切に隠しているのは

弱さ

です。この文字の大きさ初めて使ったわ。もうね、本当に弱いんです。実際人間って強くも弱くも無いのですが(基準があるなら教えて)本人が「自分は弱い」と思い込んでいる事が拗らせワールドの大元です。
ちょっとややこしいのですが
【自分は弱いという認知がある】
けれど弱いことは恥ずかしくてダメなこと。弱いのがバレるくらいなら死んだ方がマシだ!!!と本気で思っている
→死ぬわけにいかないので、じゃあ自分弱いを無かったことにすればいいんだ!!!そうしよう!!!
で、コレ↓
【ぼくは弱くないもん!!!!!】
という凄まじい自己暗示を掛けて掛けて掛け続け
【自分は強い人間だ】
を維持している(そして本気で強い人間だと思っている)

とっても涙ぐましい虚勢の持ち主。

だから弱さに触れそうになる度に「ガオーッ!!!!!」って吠えてしまうんです。その、弱さに触れるという状況の1つが
相手から下手に出られた時
【パワハラさん】からすると【下手に出るさん】は弱さの象徴。観るだけで痛いんです。相手を通して自分の弱さを見てるから痛くて痛くてたまんない。でも強さを誇示するには弱い人が必要という、この矛盾が自分の胸の中でいつも葛藤しています。
「あの人いつもビクビクして、観ているとこっちがイライラする」というパワハラさんがとても多いのはその仕組みがあるからです。親子関係はほぼコレ。子供がビクビクしたり下手に出ると親はイライラし、子供が横柄な態度や強く出ると更に上から力で抑えて支配してしまう。親子逆転のパターンもありますが、根本に在るものは同じです。

下手に出る奴隷マインドの持ち主が
自己尊厳は無いから無い(実際には持っているけど、無いものとして生きている)→諦め、嘆き
とすると
パワハラさんは
自己尊厳が無いはずは無い!(あるはずなのに感じられない!)→怒り
といった所でしょうか?
※あくまでも私の捉え方です。
でね、パワハラを受ける人ってパワハラが出来る人です。
パワハラをしてしまう人ってパワハラを受けてきた人です。
私も両方出来ます。というかしてきました。弱さを武器にして被害者で生きてきたし、弱さを認めたくなくて強さを振りかざしてきた。そうやって生き抜いてきたし、そうじゃないと生き延びれなかった。
ただ、それだけなんです。
だから人間って美しいんだと思います。
 
”私は弱い”が在っていい

”私は弱いが在っていい とは思えない”が在っていい

在るもの全てが、在っていい

 下手(したて)に出る生き方は奴隷と同じ。

2024.5.25
下手に出る=相手を立てる=イイコトだ
という意識で生きているお客様が続き、改めて親世代からの刷り込みの凄さに感服しています。
下手(したて)に出るという戦術(生き方)
私もヘビーユーザーでした。すっごく便利で使い勝手が良く、なにより相手への効果が抜群で成功率が高いんです。だからこそこの生き方を止められなかった。
ちょっと下手に出るだけで相手は良い気分になり、その場が和み、全てが上手く行き、愛と平和が手に入った!!・・・気になれるんですからメリットしか無いように感じてしまうのも無理ありません。実際は破壊へ進んでいるのですが、それには一切気づけないシステムになっているのも見事なところです。
【下手に出る】って実際なにをやっているかというと

  • すぐ謝る
  • 自分のせいにする
  • 相手に合わせる
  • 自分の意見は言わない
  • 相手を助ける
  • 遠慮する
  • 自虐する
  • 相手を褒める
  • 自分を落とす
  • わきまえる
  • ムードメーカーになる

⇧”下手に出る”が回避行動のお客様のお声を集めました。でね、これらをやり続けた結果いつも何が起きてますか?と突き詰めていくと皆様一致で
馬鹿にされる・理不尽な目に遭う
が出るんですよ。下手に出てイイコトをしているはずなのに、全く大切にされない現実ばかりやってくる。
ではここで問題です。下手に出る、をする為には あるモノ(感覚)を捨てないとできません。さて何でしょうか??

答えはー
そう!自己尊厳!
自分を尊重する気持ち。自分を慈しむ気持ち。自分を大切に想う気持ち。自分を愛する気持ち。私が私であることの誇らしさ。私はワタシなんだ、他の誰もワタシになる事はできないんだー自分を誇らしく感じる自尊心。
これらがあると”下手に出る”ができないんです。

下手に出る、をするには
自分を馬鹿にしないと出来ない

・・・だから”馬鹿にされる”んです。パートナーや職場の人、自分の周りや世間から。理不尽な目に遭うのは、内側の自分が「自分で自分をこのように攻撃してますよ」「もうやめて」と言っているから。
そして下手に出る生き方をしている間中、実質やっていることは【支配】です。長くなるので端折りますが、下手に出ながら相手を支配しているんです。そんなわけない!!被害者は私の方だ!!と出た方ほど支配を隠しています。
被害者を装って相手を支配する。日常で言うと”可哀そうで居れば助けてもらえる・かまってもらえる”   これ、立派な支配です。私の母親はこれが大得意でした。だから私も大得意でした。ただ、これをし続ける限り自己尊厳を捨てなきゃいけない。もうそれはイヤ。私はワタシを大切にしたい。そこに気が付いたら下手に出ることが無くなってきました。
下手に出るって「どうぞ私を好きにしてください」と申し出ているのと同じです。何をされても文句は言いませんという奴隷契約と同じ。
自己尊厳を捨ててるのですから。 

 それってプライドじゃなくて只の意地。

2024.5.18
プライドが邪魔をして出来ない」
「私のプライドが許さない」
プライドが傷つけられた」
「あの人プライドが無いからそんなことが出来るんだよね」
⇧これら全部マインドの正当化。単なる言い訳です。これ系統のセリフを吐いている時は自分に疑念を持った方がいいです。「わたしは何を回避しようとしてるの?」って。大方意地張ってるだけなんですけどね~素直にならない為に。
プライドって
”私は私である”という誇り
自分の尊厳のことでそれ以上もそれ以下もありません。でね、私は私であるという意識があると「私のプライドが許さない」なんて考えが一切出てこないんですよ。許すとか許さないって善悪でジャッジしているってことだから。そして傷つけられるモノでもありません。私は私であるという誇りは意識エネルギーだから、傷つきようがありません。実際は”プライドが傷つけられた”のでは無く”何かしらの出来事によって痛かった”ってだけです。
【私は私である】
これって本当に本当にスゴイことなんです。この宇宙、この世界で”私”を”私”と認識できるのは私唯一人なんですから。この意識が当たり前に感じられるようになってくると・・・真のプライド(誇り)を思い出せるようになってきます。誰も、私を傷つける事なんて本来出来ないんだ、という真実。私を傷つけられるのは私だけ。私を大切にできるのは私だけ。私を幸せにできるのは私だけ。自己尊厳ってやつです。
とは言え、すぐマインドの支配にやられ正当化で生きてしまうのですが。そうなっている度に気づき、受容し、尊厳を思い出し・・・波が寄せては返すようにそれを繰り返し、段々と自分を大切に感じる割合が増えていく。こうやって私は私を満たしていくんだなぁと。
意地を張るとか相手を支配するとかの体験も楽しいっちゃ楽しいけれど(共依存の高揚感って麻薬だし)容れ物(肉体)への影響が年々大きくなってやればやるほどシンドイんですよね。それに調和の世界の楽しさを味わったら、争いの楽しさはもう要らんなぁと心底思います。
ココロとカラダとマインドの関係って本当に上手くできていて感心します。一旦整えたい方は、ぜひ蓬屋へ~♪ 

倒れちゃえばいいじゃん。

2024.5.18
今月はご新規様が多く、私の内側の変容をひしひしと感じています。以前の私にとって”新規のお客様をお迎えすること=本当に恐いこと”でした。上手くできなかったらどうしよう・気に入ってもらえなかったらどうしよう・嫌われたらどうしよう!あとは何が在ったかなぁ?とにかく”新規のお客様を迎える事”に対して自分が何を感じているかを書き出してから数年。だんだん不安と恐れが薄くなり、それと共にご新規様も増えてきました。新規顧客が増えないよう無意識にストップをかけていたんだなぁと感じます。
さて、先日いらした初めましてのお客様。何分蒸しても温まらない冷え切ったお宝ボディ(私にとっては腕が鳴る素敵なお体です)の持ち主で、お話を伺うと「倒れないように頑張ってる」とのこと。それに対し「倒れちゃえばいいじゃん」と即答した私に目をまんまるくされていました。
「倒れたらやっと言えるんでしょ?助けてー!って」続けてお伝えしたその瞬間の、お顔の歪みっぷりったら。それとは裏腹に一気に出だした汗を視るとマインドは観念し、カラダとココロは大喜びといった所でしょうか。ラスト5分でやっと巡りだし私も一安心。タイマーが鳴るころには全身がポカポカお顔がニコニコになっていらっしゃいました。よかったよかった~。
「倒れちゃえばいいじゃん」は”嫌われたらどうしよう”が強かったころの私では多分言えない言葉でした。ピラミッド社会からすると無責任極まりない言葉ですから。
感じたままを素直に口に出す
=私は私の命に応えている
調和の世界に生きるってこういうことなのかな^^わかんないけど気持ちがいいです。

 お客様というよりは・・・。


2024.5.15
だいぶ前から、誰かといると感じる”仲間”という感覚。友達に対しても子供達に対しても、ついにはお客様にまで感じるようになってきました。時折お店の人やすれ違う知らない人にも感じます。この過渡期と言われる(多分めっちゃ生き辛い)時代をわざわざ選んで生まれてきた 仲間 という感覚が気に入っています^^ 
小さな頃から人とうまく関係性が作れず、これじゃあダメだと(主に自虐で)周囲を笑わせることで人間関係を何とか形成し続けた結果「あら?私ってコミュ力あるかも」と錯覚。そのまま社会人になるものの、学生時代の勢いが通用せず更に頑張って社交的に振舞えたのは30代前半まで。「・・・私って人が苦手なんだ」という思いに気づいてからは見事に世界と自分を切り離し、他者とは必要最低限の関りしか持たない生活に切り替えました。けれど心はどこか満たされず・・・常に付き纏う虚しさと寂しさ。悪かないんだけど心から幸せとは言い難い、みたいな。
人付き合いは私の事を解かってくれる人だけでいい
が、まさかエゴの罠だなんて当時は思ってもいませんでした。
世界を、解かってくれる人と解かってくれない人に二分していたらそりゃ避けても避けても人間関係揉めるわけです。その分離が薄くなってくるにつれ、一人で居ても独りじゃない安心感が続くようになり、気が付いたら家族友人だけではなくお客様にまでも(下手したら知らない人にも)仲間のような感覚がわくというこの快挙となりました。幼少期から苦労していた人間関係の感覚がここまで変わる!?と嬉しいビックリです。敵と味方に振り分けていた頃が噓みたい。昭和平成令和と個の分離がどんどん激しくなり、寂しさや孤独を感じる度合いも人口も、この時代が最高潮だと言われています。いちばん大変な時を選んで生まれてきた私達。だからこそ、ほんの少し視点を変えるだけで繋がる喜びを感じやすいと思うのですがどうでしょうか?

【幸せ=イイコトだけ】になってません?

2024.5.13
自分の中の”幸せの定義”が どうなっているのかを自覚していないと、高確率で望まない現実を創造します。
幸せ=イイコトしかない・苦しみが無い・辛くない・嫌な気分ではない、、、

幸せ=不快が無い

になっていませんか?

不快が無い状態を幸せと定義したいのはマインド(生存本能)です。エゴからの幸せ。私たち人間は大体がコレ(不快が無い状態の幸せ)を目指そうとします。
だって。苦しいのイヤだし、辛いのイヤだし、嫌な気分になりたくない!

不快な状態に耐えられないから

実際は”不快に耐えられないと思い込んでいるから”ですが、とにかくマインド(生存本能)は不快を避けようとします。
「いえ!私耐えられます」
「我慢強さには自信があります!」
という想いがわいたなら要注意。それ、エゴの罠です。耐え忍ぶ・我慢強い の奥底に在るのは「今 耐えていればコレ以上の苦しみは来ないはずだ」「我慢していれば必ずイイコトがやってくるはずだ」 じゃないでしょうか?希望にすがりつくってね、かなり重いんです。だからコレをやっている間中、苦しくて辛い現実を創ります。しかもどんどんエスカレーションしていくという。
マインド(生存本能)が掲げる幸せは【不快を避け、イイコトばっかりの状態】でもこれだと不快を避け続けなければいけません。めちゃくちゃ疲れます。苦しさから逃れる為に更なる努力をし、不安を誤魔化す為何かや誰かに依存し、その結果(自分にとって)最悪な現実が起きる。幸せになろうとすればするほど幸せから遠ざかっていく。
じゃあどうしたらいいのさ?ってなりますよね。
そこでハート(命・魂)が望む幸せに注目です。本当の幸せって、

自分に何が起きてもいい・何が在ってもいい

”私は、自分に起きる全てを受け入れます” ということ。 快とか不快とか、何がイイコトで何がワルイコトだとかのジャッジが一切無い(こんな説明も存在しない)

=私が、ワタシに安心しきっている状態

これが本当の幸せ。
すべての体験を自分に赦せる(許可を出せる、みたいなニュアンスです)のが自然なことだから。
ちなみに幸せの対義語があるとしたら【有意義】じゃないかなぁと思っています。幸せに意義とか意味とか一切必要ないもんねぇ。

地獄の苦しみは実のところ魂の救済

2024.5.8
「もう、本当にイヤ!」
「なんで解かってくれないの!?」
「ま、言っても無駄だし」
「どうせ私が悪いんだよね」
・・・みたいな怒りと嘆きと諦めの日々をお過ごしの皆様、ごきげんよう。
私たちは子供の頃から【頑張るという努力】か【従順という諦め】で自分の中の違和感を誤魔化し誤魔化し生き延びています。なぜ違和感を感じるかというと

その生き方は不自然だから

努力と諦めの生き方をする為に生まれてきたんじゃない、という事が本当には解かっているから。そして不自然なモノには限界がやってきます。バランスを取ろうとするのはこの世界の当然の流れ。そして戻ろうとします。何に?

あるがままの状態に

それが本来自然なコトだから。
でね、戻ろうとするそのやり方が”嫌な現実を起こして気づかせる”という肉体を持つ人間からすると、まぁ地獄の苦しみなわけですよ。でも魂的にはそれって救済。
「もう、本当にイヤ!」という出来事が起きたのは「もう、本当にイヤ!」が自分の中に在り、それを出したいから。
だから心置きなく叫べばいいんです。
「もう、ほんっっっとうにイヤ!」って。魂からすると拍手喝采ですよ。やっと出せた~って。

「なんで解かってくれないの!?」って出来事が起きたなら是非そう叫んでください。「ま、言っても無駄だし」ならそれを。「どうせ私が悪いんだよね」 ならそれを。咄嗟に出る想いを口に出してください。
そうしたくて、わざわざその現実を創ったんだから。あ!叫ぶのは一人でこっそり盛大にお願いします。
コツと意味を知りたい方はモニターコースへどうぞ♪今なら11,000円と大変お得です。

※便宜上”魂”という表記を使いましたが”本当の自分”でも”エネルギーのワタシ”でも”命としての自分”などお好きなニュアンスで受け取ってください




蒸しながらの眺めが最高です。


2024.4.17
蓬屋のテラスが新緑で覆われ、毎朝框戸を開ける度その美しさに思わず感嘆の声が出てしまいます。
ちょうどヨモギ蒸しをしながら窓いっぱいに緑が観えるよう設計した施術部屋ですが「この景色だけでも癒される~」と、どのシーズンもお客様方からお褒めの言葉を頂き「建ててよかった」と毎回嬉しさで一杯です。
そして今年は長年ご来店下さっているお客様がこの新緑を見て次々と「こんなに綺麗だったっけ?」と仰ったり、中には「モミジ?こんな木ありましたっけ?」という方も!実はこの皆様に共通しているのが”人生の長い冬が明けました”という出来事。鬱々した状態だと綺麗に輝くモノは目に入らないし入ったとしても見え方も違ってきます。だからこれはムフフ案件ですね~♪

落ちているときって
青空を見ることができませんから

かくいう私も実は今年の新緑が今までで一番美しく目に映っています。うん、やっぱりこの春はムフフだらけ^^

 

 新・思考改革コース(仮名称)のモニター募集します。


2024.4.13
ヨモギ蒸しの時間内で、ある程度セッションが出来ていたので思考改革コースを休止していましたが「どうしてもガッツリ自分と向き合いたい」というお声が増えてきて(どうもウチのお客様はバッファロー系)この度メニュー再登場の運びとなりました。
新・思考改革コース(仮名称)
通常価格33,000円のところ
モニター価格
・よもぎ蒸しあり11,000円(120分)
・セッションのみ8,800円(90分)
と、超お得です!!!!
破格の為、限定50名*6/30までとさせていただきます。
ずっと興味があった方や、今まさにドン底ですという方この機会に是非♪

現実ってね 捉え方が変わったら、こんな美しい世界楽しい世界はありません。自分をあきらめる必要なんてないんです。
もう、楽に生きませんか?

お問い合わせはお気軽に^^ 

 春のチネイザン祭りを開催しました。


2024.4.12
【古代中国で発祥した気功療法の1つのチネイザン(気内臓療法)は内臓を整えるだけではなく滞った感情の通りも良くします】
一昨日よもぎ蒸し仲間の薫ちゃんが来てくれて、チネイザンとヨモギ蒸しのコラボイベントを開催しました。
こ、れ、が、大好評!!!当日受けたお客様から「もう頑張らなくていいんだと自分に許可を出せた瞬間でした」「心の重い感じの荷物を降ろせた」「うんこが大量に出ました」などのご感想の他、ご自身もセラピストであるお客様が「この施術は凄い。3万円クラス!!」「習いたい!!」と仰っていました。同業者がここまで言うって中々ないと思うので、改めて薫ちゃんの施術の凄さに感嘆です。
今回は急遽の企画だったため店頭にて募集でしたが、次回は早めに計画して皆様にお知らせいたしますね^^  あちこち飛び回る薫ちゃんはちょくちょく蓬屋に来てくれるので、この施術に興味がある方はご連絡ください♪先行予約案内します♪ 

 JIDANDA


2024.3.27
内側の痛みに触れる時って本当に痛い。
「(相手に)理解させないようにしてるんだね?」「”ちゃんとする”を止めたら何を失うと思ってる?」などなど、相手から出た言葉を拾い問いかけた瞬間、ほとんどの方はお顔がひん曲がります。マインドの抵抗です。以前はその抵抗のエネルギーを受けるたびに私の中でもエゴが反応し(あ、言わなきゃよかった・嫌われたかも・こわい!)となっていましたが、最近はそのご様子を見ても「痛いよね・・・」とただ感じるだけになりました。
が、昨日のお客様。
ご相談を受け「って事は(ハートと体は)休みたいってことになるけど、どう?」と問いかけた瞬間
じだんだ。JIDANDA。ジダンダ。
地団駄踏んでる!!!あまりの可愛さにツッコミ入れましたよ「めっちゃ抵抗してる😂」って。お連れ様も大爆笑されてました(笑)ついでに私の心境も吐露しました。私、今超怯えてて”もう来店してもらえんかも”って思ってます、と。いやもう思わずこちらの本音が出るくらいエネルギーの開き方がすごくて。地団駄からの「・・・休みたい?かも・・・」とご本人の本音が出た瞬間、汗の出方が変わってお顔が人間の顔色になり(←正露丸みたいな顔色だった)まさに
解放~~!!!という感じでした。
彼女の中では”なにも無く休む=サボり”という方程式があり、ただ休むことはワルイコトだ、になっていました。だから体が必死に不調を起こして休ませようとしてたようです。”頑張る”を続ける持ち主の、ハートの願いの”休みたい”を叶える為に。
     ※あくまでも仮説・見立てです※
ちなみに”頑張る”の奥にあったのが”役に立って価値を出し続けなければ、周りとの繋がりが切れてしまう”でした。ひとりになってしまうのが怖かったんだよね。赤ちゃんみたいな泣き顔がとっても愛おしかったです。
念のため申し上げますが、同意が無ければ踏み込んだ問いかけはしておりませんのでご安心くださいm(__)m 
それにしても姑の地団駄で慣れてて本当に良かった☆

 大人気☆更年期ブレンド蒸し


2024.3.23
立春に出ました新メニュー
”更年期ブレンド蒸し”
早くも大人気です^^当帰や陳皮など14種類の漢方をブレンドしております。ちょーーーーっとクセのあるニオイですが、そこはうちのお客様。「うん!うん!いい!!」「ん~~~~~いいにおーい」「効きそうなニオイ!!」と、マニアっぷりを発揮してくださり無問題といったところです。笑
肝心の効果効能としましては、イライラや気分の落ち込みが軽くなった・寝つきが良いので朝が楽になった・生理がまた来た・などなど。とあるお客様のホットフラッシュが、蒸した後は出ない日もあるとのご報告も頂いています。←冷えるとまた出るのよ~とのこと。
ジワジワ温かさが続くので、春の不安定な寒暖差にも最適です。私はここ1カ月ほぼ毎日朝晩2回、更年期ブレンド蒸しをした結果、花粉症の諸症状が2日間くらいで済みました(黄砂かな?)
毎年春は、1月からアレロックを服用し、2月末には更に市販薬も服用し、尚且つナザールスプレーという最強の点鼻薬を使って死んだように3月を過ごしていましたが、よもぎ蒸しをするようになり年々軽減し今年はついに発症2日間ほど(黄砂かな?←しつこい)になりました~!!嬉しい!!!
幼児の頃から慢性アレルギー性鼻炎&じん麻疹持ちだった私だからこそ自信をもって言えます。体質は、改善されます^^ 

 ザ・メンタルモデル講座13期


2024.3.22
今日は、メンタルモデル第1回目の講座でした。画像の本の著者であるお二人(みぃちゃんと ぼびさん)がファシリテーターのこの講座。オンラインですが半端ない安心感に、ワタクシ、なんと、発言ゼロでした・・・。これまでこういう講座で黙っていたことが無い蜷川さんが。絶対何かしら喋る蜷川さんが。チェックイン(最初の挨拶みたいなの)以外一切話さずニコニコ参加。
ありえない。
と、序盤でこの思いが湧きフォーカスしてみたところ、出てきたのは「居場所があるから喋らなくていいや~」でした。あ、なんだ今まで喋ることで居場所を作ってたんだ私、と気づいた瞬間全身がホワッと軽くなりました^^嬉しかったんだよね~
みぃちゃんと ぼびさんが作る【場】は本当に温かくて、講座で本能が安心するって感覚は初めて!「何もせずに居て良い」感覚。この【場】の空気感を蓬屋でも出したいものです。
それにしても【喋ることで居場所を作ってた】なんて。これいつからしてるんだろ?と考えてみたら、発端は子供の頃。喋ることで家に居場所を作ってたなぁ、と。お父さんとお母さんを笑わせる=怒られなくて済む。だから口だけは達者とよく言われてました。今日また1つ傷が癒えた気がします^^
全6回の講座。私の変容は随時ブログにて報告しますね。


 

 「こんなにやっているのに!」が出たらチャンス到来。


2024.3.20
春の嵐が吹き荒れた春分の日。こうやって空気を掻き混ぜ、淀んだモノを一掃する自然の循環作業は怖いけれど美しさも感じます。雨上がりに晴れ間が覗き、なんて綺麗なんだ!と思わずパチリ(本日の画像)
さてさて今日は、自分の探求が深まっていくと大体の人がぶち当たる「こんなにやっているのに、まだこんな位置なんだ」というような悔しさ情けなさ怒りが沸いたらチャンス到来ですよ、のお話です。
自分の内側を意識しだすと周りの見え方が変わってきます。あるお客様は「どんな人間も皆痛みを持っていると思ったら腹の立ち方が変わりました」となったそうです。そして見え方が変わってホッとした頃にやってくるのが『お主、本当に変わったのか?』という確認試験。特に理解した”つもり”になっている時ほど内容が濃くて、私も何度打ちのめされたことか(笑)
で、大体こんな心境になります。
こんなにやっているのに、なんで幸せになれないの?
こんなに頑張っているのに、なんでこんな目に遭うの?
ハッハッハー。これね、実は大チャンスなんです。やってきた人にしか出せない感情だから。この時に在る感情はおそらく
本当~~~~~~~に悔しくて
本当~~~~~~~に情けない
もう自分に腹が立って腹が立って仕方がないはずなんです。この「本当に」の領域の感情って普段の生活では先ずだせません。だから出すためにワザワザその現実を自分が創った。ただそれだけ。
だから・・・私からすると「オメデトウ」案件なのですが、それを言うと大多数の方から「めでたくない~(;´Д`)」とブーブー言われます。
春の嵐と一緒ですよ。
自分の中の淀んだモノを出すには勢いが必要。出してる最中は痛いですけどね(めちゃ分かります)どうかこの言葉が届きますように。

 

映画ハイキューを観に行きました。

2024.3.14
先日、長女から誘われ映画ハイキューを観に行ってきました。私はマンガを先に読んでいる場合はアニメや実写化を観るのには抵抗があり(先に観る→原作読むはOK)ちょっとだけ躊躇しましたが、ハイキューは抵抗なくどころか思いっきり見入ってしまいました。ストーリーもですがアニメーションの技術の高さに終始一貫感動で、バレーボール特有のスピード感やボールの揺れや細かいところも丁寧に創られていて、スパイクレシーブのシーンで何度体が後ろにガッと動いたことか…はずかし。
泣くかな?とタオルを用意していきましたが(プリキュアで号泣した前科持ちなので)思わず涙が、というより「うまくできた映画だなー」と尊敬の方が強い感想です。バレーしたくなった、と長女に言うと
「それぜっっっったい言うと思った」と即返されました。…うん。ハリーポッター見終えた後の私の魔法の練習すごかったもんね-_-ゴメンヨォ
 

 いつのまにか3月です。


2024.3.13
ブログ更新ご無沙汰しております。ここ数週間何をしていたかというと…色んな人と会っていました。人嫌い・人見知りの私にしては珍しく、初めましての人とも沢山お会いして楽しい日々を過ごしています。
そう、楽しいんです。
人と会うとグッタリしていた過去の私が信じられないくらい、誰と会っても全く疲れず「あー楽しかった!」と思わず呟いてしまうほどの変容ぶり。無理するのを止めるとこんなに楽なのか、とつくづく思いました。
”無理するのをやめる”をアタマで考えて実行していた頃には味わえなかった楽さです。無理するのをやめる”為に”色々と頑張っている間は、結果無理をしている状態だという事に気づかせないエゴの罠って大したもんです。
最近はそれすら愛おしく感じます^^ 

 ハートからの願いはすぐ叶う。


2024.2.20
喜ばしいことに、お客様や周りの人から「段々、相手に振り回されなくなってきた気がする」「なんとなくだけど自分が現実を創ってる感じがする時が増えた」などなど嬉しいお話を立て続けに聴くようになりました!
自分が自分の気持ちを常に理解できるようになると、ハートとマインドが繋がっている状態になるので願いが叶いやすくなります。本当は全てすぐ叶うらしいのですが、なんせ地球は時間と空間の制約があるので、願いによっては叶うのに時間を要します。それよりも何よりもその”叶う過程”を楽しみに我々は地球に生まれてきているらしいです^^
自己理解・自己統合・自己受容…それらが進むとマインド(思考)の声とハート(心)の声の区別がつくようになります。じゃあそれまではと言うと、ほぼマインドの声しか聞こえてない状態でした。だから思いつく”自分の欲しいもの・自分の願い”は恐れ(マインド)起点のものばかり。
〇〇さえあれば幸せになれるのに
ってやつです。彼氏さえいれば・結婚さえできれば・夫が変われば・もっとお金があれば・もっと若ければ・もっと痩せていれば等々。ちなみに「マインドからの願いって叶えても叶えても満たされることが無い仕組みになっているのも特徴で、それらを手に入れた瞬間今度は失わないよう維持する努力(戦い)が始まります。苦行ですよ。
ということで、ハートからの願いは楽に叶います。自分にとって自然なことだから。でも、願いをかなえるためには必要なことが・・・。
それは、自分が何を望んでいるのか正確に自覚すること。先ずそこが明確にならなければ叶いようがありません。
ハートとマインドが繋がってきた皆様。次のフェーズへ行きましょう。自分が自分の気持ちを理解できるようになったなら、もうハートの声が聴こえるはずです。「休みたい」「動きたい」「彼氏欲しい!」「会いたくない」「安心したい!」「飽きるほど眠りたい」「関わりたくない」「恋がしたい」「クレープ食べたい」
⇧これらは本日のお客様の本音です(^^)皆様本当に可愛らしかった~!あなたはどんな願いがハートにありますか?
・・・ありのままの自分で愛されたい?最高です!

※同じ「彼氏が欲しい」でも起点が恐れ(マインド)からか、愛(ハート)からかで正反対のエネルギーです。 

 おさらい【すべて自分の心が映し出されている】


2024.2.15
「嫌な事があって最悪な気分」
は、本来ありえないんです。
嫌な気分だったから、嫌(と認知する)出来事が起きる。気分が先なんです。
だから”嫌な気分”が沸いた時、即座に書き出して吐き出す。認めてしまえば癒えて消えるので【嫌な出来事】に発展しません。燃料となる”嫌な気分”を、もう昇華させたから。

現実に起きた嫌な事って・・・
自分の心の中の罪悪感がソレになっている
自分の心の中の復讐心がソレになっている
自分の心の中の劣等感がソレになっている
自分の心の中の虚無感がソレになっている
焦り・悲しみ・怒り・欠乏感・諦め・嫉妬etc―それらがそれぞれ現象化しているだけです。反対も同じ。自分の中の安心感が安心の現実を創り、自分の中の歓びが喜びの現実を創っている。
だから今この瞬間、自分が何を感じているのか?がものすごく重要になるんです。「じゃあ良い気分でいればいいのね」って無理やり良い気分になる手段を選ぶと、高確率で【不本意な現実】がやってきます。エセ良い気分、は嘘だから。
不満なら不満、悔しいなら悔しい、私のせいだと沸いたなら、とことん「私のせいだ」を感じる。恥ずかしい…やらなきゃよかった、とかね。認めるとスッキリします。そして”スッキリ”は良い気分です(よね?)
私の場合ですが、これが当たり前になってくると「ああ本当に全て自分の心が映し出されているんだ」「自分が現実を創っているんだ」という感覚が肚の底から出てきました。ホント少しずつですが。油断するとすぐマインド優勢になるのでね(^^)
現実に起きる事って、自分の性格が悪いからとか罰が当たったからとか一切関係無い。宇宙は性格が良い悪いなんてジャッジしません。罰なんて存在しません。心の周波数(感情は波です)が、そのまま映し出されるだけ。”誰か”も”何か”も関係ないんです。

 っあー!!めっちゃ好き!!!!!


2024.2.14
昨日はご新規様が多い営業日でした。その内2名様がですね、超絶冷えてまして・・・はーもぅ思い出しただけで胸が高鳴る。もう一回言いますね。
2名のご新規様が♡超絶冷えていたんです♡お一人は中火で熱がる”下半身凍死・上半身マグマ状態”の超王道な冷え。とにかくお顔がのぼせないように…でも芯にしっかりと熱が入るように、上半身と下半身の差が消えるように丁寧に蒸したところ!終了間際には足先ポカポカ、お顔はスッキリ血色ピンクの良い蒸し上がりに。色白さんが冷えると本当に顔色が悪くなるので、ここまで明るくなるのかとビックリでした。
続きまして~。お次は”いくら蒸しても汗が出ない!”完全無欠な冷え、のお客様。30分蒸しても汗が出ず…正直めちゃめちゃテンションが上がりました…汗だけ出させるのは簡単なんですけど(強火でガンガン蒸せばいいから)それだとダメなので、ラスト10分でとった戦法(戦法って言っちゃってる)は古代布3枚出動+弱火!技名が思いつかない!
そしたらですね、出たんですよ(涙)タイマーがなる少し前に「汗が滲んでます…!」って仰られて、それを聞いた瞬間強火にし、ラストスパート。みごと芯から温めることが出来ました。
(ちなみに、この方はサウナに通っているのでこのやり方が通用しましたが、普段汗をかかないほど冷えている方には汗が滲むまでにしています。冷えの度合いによって汗を出す段階があるので)
ということで昨日は二度ほど吠えました「っあー!!私、めっちゃよもぎ蒸しするの好きやぁ!!!!」って(笑)
幸せです♡ 

 冷え=悪いこと、ではありません。


2024.2.10
体が冷えているのは悪いこと??
いいえ!体が冷えている=体が冷えている、というだけです。体が温かいことがイイコトでもなんでもありません。良い悪いではありませんから。
大切なのは『自分の冷えに気付けるかどうか』だと私は思っています。なんかお腹が冷えてるな・手が冷たいな・足先が冷たいな・カラダは寒いのに顔だけ熱いなetc…。
気づくだけでOK。そしたら自ずと”こうしたい”が湧いてくるのでそれを実践しましょう!あるときは「もう一枚着よう」かもしれないし、あるときは「熱いお茶を飲もう」かもしれない。それはその人その時で違うので「冷えてるならこうしましょう」という答えは私には解かりません。でもその瞬間の自分は答えを知っています。だから先ずは”冷えに気付く”こと。
ちなみに私は常に冷えています。でもいつも気づくので何の問題もないという(^^)しかも温める手段・方法をたくさん知ってる。
なんでも同じですね。気づきさえすれば解決に動く。だから一番の問題は”気づかないこと” 疑念の持ち方・視点の変え方が鍵!

 自分の”核”確認キャンペーン。


2024.2.9
先日出演した動画「社長、今日も斬らせていただきます」多くの方に見て頂き本当に嬉しいです。ありがとうございます!
さてワタクシはと言うと、ここしばらく”自分の核”というものについて探求していました。キッカケは長女と長男が「お母さんと話すと自己啓発本読まされている気になる"(-""-)"」私に言った事から。
それを聞いた瞬間『あ、気をつけなきゃ』『そんな風に感じさせてるんだ』『今後もっと軽く受け答えしなきゃ』でした。その、瞬時に湧いた気持ちをキャッチしたのと同時に走ったのは左足全体の鳥肌。足先から鼠径部へザワッと嫌な感じを受けました。この感覚は私にとってエラー表示。『??????』となり『そこに何が在るの?』と意識をむけたところ出ました出ました。
”なんで私が合わせなきゃいけないの?”
”私だって自由に思ったこと言いたい”
”これ我慢なんだよ!”
”もう我慢したくないよ”
でした。あ・・・と気づいた瞬間ブワッときたのは『だれが、何と言おうが、私は命から生きたい』『私の本音を大切にした生き方がしたい』という想い。私がこれまで自身を卑下してたことを肌感覚で思い知りました。こんな話して迷惑かな・説教臭くないかな・・・嫌われないかな。自分が自分に対して常にこんな事思っていたら、そりゃ「ほらやっぱり嫌がられた」という現実になるわな。
私が突き抜けるには(核ができるには)近しい人からの否定が必要だったようです。『誰が何と言おうが…子供達から嫌われようが、私はこう生きたい』って所に、やっと行けました。生存本能は誰か(特に近しい存在)から否定されると、合わせにいこうとします。だって嫌われたら生きていけないと思い込んでいるから。昔の私はこれを「相手に嫌な思いをさせてまで自分の意見を貫くなんて」と捉えていました。思いっきりエゴの罠に嵌っています。そもそも”相手に嫌な思いをさせる”なんて出来ないのに。嫌かどうかを決めるのはその人であって、私ではない。すごく歪んだ視点に立っていました。
なんの混じり気もなく「私は命から生きたい。そして、そう生きる」だけの想いになった今、とても清々しい気分です。だからか、自己探求の話に力が入らなくなりました。私の中で当たり前になったからでしょうか。主観って本当に不思議です。 

 ”今日斬り”に出演しました。


2024.2.2
ザ・メンタルモデル開発者の由佐美加子さんが内面を紐解くYouTubeコンテンツ『社長!今日も斬らせていただきます。』昨夜私の回が公開されました。

動画はこちら↓
https://youtu.be/6RiBXyRZghg?si=CnXn-xwnFnZYka1r

動画を観た仲間たちから
「えぐられた」
「わたしにも響いた」
「嗚咽したわ・・・」
「めっちゃ泣いた!」
「よくここまで出せたね、すごいよ」
などなど色んなメッセージをもらい、出演してよかったなぁと胸の温かさを感じています。
自分自身で出していた仮説(だって私は悪い子だから)が、みいちゃん(由佐美加子さん)の紐解きによって、より鮮明になり今の私にとっての最深部へ行けた気がしています。興味深かったのが自分の内側。エゴがフル回転で抵抗するので、一人で内省する時のようにスムーズに味わえず、セッション中何十回も”計算している私”を感じ、それに飲み込まれている様子が動画中見て取れるので必見です(笑)
YouTubeを御覧くださった方、もしよかったら動画の下のコメント欄に一言頂けると嬉しいです。よろしくおねがいします^^

 A=BならB=A。


2024.1.31
私たち人間は
絶好調のときって、体は柔くて軽くて温かい。
絶不調のときって、体は硬くて重くて冷たい。
自分自身の体験で誰もが知っている方式のはず。”絶”までいかずとも、調子が良い時って体が軽く疲れません。そして手先も足先も温かい。”冷え”が無い状態。
A=BならB=A
好調=体が軽く温かい、なら
体が軽く温かい=好調
体を温めることで、好調だと脳を錯覚させることが出来るといえます。でね、この世は全て思い込み。人生は自作自演。自分の現実は自分が創っている。としたら、好調だと思い込む→好調な人生になるという図式が出来上がります。超簡単。
実際当店でも”芯が冷える前にヨモギ蒸し”を繰り返されているお客様が、軒並み人生楽しくなっていっているご報告を頂いているので大方当たっているのではと思っています。なにより私自身が強く体感しております。
そしてですね、自己内省って結構ドツボに嵌りやすく、そんな時大抵冷えています。だから「ナンカオカシイナ」と重さを感じたらお風呂に浸かることがお勧めです。芯から温まりたい方は是非蓬屋へ♪いくらでもお話し伺いますよ^^

 

 最高の誕生日。


2024.1.30
1月は私の誕生月ということで、年明けから当日にかけて今年もたくさんお祝いを頂きました。みなさま、本当にありがとうございます(感涙)
毎年欠かさず、お祝いの変装?をしてご来店くださるお客様や、転勤で県外に行かれたにも関わらずバースデーメッセージを送ってくださったお客様など、他にも色んなプレゼントやオメデトウを頂き(中学生のお客様からの「長生きしてね」は沁みた)感謝感謝の一か月でした。年々お祝いを素直に受け取れている自分を感じており、今年味わったのはカラダ全体が発酵しているような温かさ。ありがたや~ありがたや。
誕生日には子供三人に囲まれ至福の時間を過ごしました^^長女と長男は家を出ているので「私の宝物達に揃って逢えて最高!」と伝えると「ハイハイ」「ふーん」の素っ気ない態度・・・。フッいいんよ、お母さん知っちょるんで。照れくさいんやろ?でもなーこっちは旅行の度に体力の無さを痛感してるんよ。いつ死ぬか分からん年代に入ってきてるんよ。直で言葉を交わせる機会に思いっきり素直になってないと手遅れになるの知ってるから。
ということで
この一年は、ますます自分の気持ちを大切に表現する毎日にします🌿 

 欲しいのは”幸せになる許可”では無かった。


2024.1.23
こういう…自分と向き合ったり、無意識の部分にフォーカスするようになると「わかっているんだけど、進めない!」みたいな局面に出会います。実際は解かってはいないんですけどね。そういう感覚に陥るのもエゴの罠だから味わうしかない。
さて、その局面の表現でよく使われるのが「ブロックが厚い」「ブロックが強い」という言葉。そして大体セットで言われるのが
「幸せになる許可を出してあげて」
これ聞いたところで『それが出せんから苦しんでるんやないかい!』としか思えませんでした。もちろん その想いが出たらノートに書き書きお焚き上げ。そして誰かに言いたい言葉は自分に言いたい言葉なので、思いっきり自分に向けて向けて出た答えがコチラ↓

私、幸せになっていいって”思って良い許可”が欲しいんだ

いくらアファメーションを唱えたところで上滑りなのは”許可のもっと手前の許可が出せていない”から。

友達が欲しい→友達が居て良いって、私、思って良いんだ

お金が欲しい→お金を持って良いって、私、思って良いんだ

どこか私は「私は欲しいって思うことすらダメだ」と思っていていることに気が付きました。だってホラ、私は悪い子だから↓

https://www.yomogiya-salon.com/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0/#733f0d12-6208-4f04-8529-ef4370eef705


「私は大切にされたいって思っていいんだ」

私は欲しがっていいんだ


・・・私と似た人の救いになれたら嬉しいです。 

 「自分らしく・私らしく」はエゴの罠


2024.1.17
気が付いたら一月も半ば!ビックリです。私は相も変わらず自分の内側に夢中な年明けを過ごしています。自分の人生を変えたくて自身に向き合い始めて約13年。変えるではなく、還るだと気づく前、どっぷり嵌ったのは「自分らしく」「私らしく」というエゴの罠でした。
耳触りが最高によいこの言葉。
酔いしこ酔いましたね~。「こんなの私らしくない!」とか。自分の本当の気持ちも分かっていないのに、どこで自分らしい・自分らしくないが判るなんてオカシナ話です。
「私らしい私」と「私らしくない私」に分断しないといけないのは何故なんだろう???その疑念がわいてから、たくさん自分を観察しました。
私らしくない!とぶった切るとき、実は悲しさと諦めがあること。本当はそれが欲しいこと。
私らしい、と感じるとき実は言い聞かせと卑下の気持ちがあること。必ずと言っていいほど母親や誰かの意見が見え隠れすること。
ちょっともう忘れてしまいましたが、まだまだいっぱい色んな想いがありました。「自分らしく」「私らしく」は本音を抑圧しているだけです。試しにどんな自分が「自分らしい」のかノートに書き出してみて、じっくり読んでみてください。
それ、本当になりたい自分ですか?
当時わたしは自身が書いたのを読んで大爆笑しました。
本当に《自分が望む自分》になっていたら「私らしい」「私らしくない」なんて言葉が出ないはずなんですよね。
書いて可視化するのはお勧めです♪ 

 おみくじも占いも内容ではなく”どう感じたか”


2024.1.6
今年の初詣はおみくじを引く方が多くいらっしゃいました。これね、本当に不思議で大吉が多発する年もあれば、凶がいつもより多い年もあり、なんとなくその1年を表していて、私達って命ってやっぱり1つなんだなぁ、集合無意識って働いてるんだなぁと感動します。
そして今年はと言うと、吉と小吉が多く大吉がごく少数といった結果でした。(印象的だったのは聞いたことの無い”半吉”を引いた方が2名と、「おれ小吉~」と言った瞬間横に居た息子さんから「末吉やん」と即座に訂正されたパパさん)
これまた私見ですが、吉や小吉が多い年って”皆で心を合わせる”ことがより必要な1年になる感じがします。吉や小吉が集まれば大吉超えるから。ポイントは力を合わせる、ではなく”心を合わせる”
おそらくそうせざるを得ない状況がやってくるでしょう。これまでやってきた「力を合わせて頑張ろう!」だけでは通用しなくなっているので。
さてさて、おみくじで「こんなこと書いてる」(´;ω;`)ウゥゥとなっている方、注目すべきは内容ではなく
「こんなこと書いてる」(´;ω;`)ウゥゥ
⇧こちらです。
それ、どんな感情ですか?こわい?悔しい?恥ずかしい?イライラ??
それを味わう為に自分が用意した展開(現実)ですので、ぜひ!そこにフォーカスしてくだされ。そして書き出し吐き出し♪
占いも同じです。
「今年は最悪な運勢です」と言われたなら、それを聞いてどう感じたか?が答えです。
「そんなの困る!!」なら、それを味わってから何が困るのかを観てみて。
「もうだめだ・・・」なら、それを味わって何をどうだめだと思っているのか?を観てみて。
(私という意識が)そこを浮き彫りにしたくて用意した現実ですから、余すことなく使ってください!!その現実を!!
言われた内容よりも自分が何を感じたか?←大事なのはこっちこっち。
最悪な運勢ってこの世のどこにもありません。ないんですよ、そんなの。
でも自分にはそう見えちゃうんだよね。 

あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いします

2024.1.6
新しい一年が始まりました。
最上寺の初詣には今年も沢山のご参拝を頂き、喜びに満ちたスタートとなりました。ありがとうございます。
やっぱり嬉しいもんですねぇ、だれかと挨拶を交わすのって^^それも新年のご挨拶ってその時だけだから、嬉しさも格別です。
実は私、元日の朝が暖かかったものですから毎年お着物の下に仕込むホッカイロを省いたんですよ。そしたら時間が経つにつれジワジワ冷えがやってきて・・・境内のヒンヤリ具合は下界と違う事を思い出した時にはもう遅い。あかん足先と手先に感覚が無くなってきてる・・・でもさすが元日、お客様が途切れない。席を外すわけにもいかず、脳内で玉音放送(耐えがたきに耐え~)が流れ出したときに救世主が!!
友人がカイロと肉まんを差し入れしてくれたのです!!しかも貼るタイプと貼らないタイプ三日分。さすが中学からの付き合い、解ってる~。さっそく身八ツ口からカイロを突っ込み無事に暖を取ることが出来ました。ありがたや~ありがたや。初日で体調を崩すと残り2日が危ぶまれるので命拾いです。
そして今ふと思い浮かんだのですが、それを純粋に喜んだ自分自身になっていることに気が付きました。昔は好意を受け取ることにすごく躊躇していて嬉しいよりも「申し訳ないな」が強く在ったけれど、わたしいつの間にかそれが癒えてる!
わ、わ、わ~本当に嬉しい。
2024年も、より”命の美しさ”を味わいます♪
命が満ちる生き方、一緒にしませんか?同じような方お待ちしています。

2023年、おつかれさまでした!


2023.12.31
あっというまに大晦日。
おかげさまで初詣の準備も先ほど無事に終わり、品切れしていた白の祓い塩もご用意出来てホッとしております。
皆様、今年一年本当にありがとうございました。どうぞ、良いお年をお迎えください。

 おみくじに一喜一憂する男衆。


2023.12.26
もういくつ寝るとお正月です。毎年、最上寺の初詣にて売り子をしていますが密かに楽しみなのが
おみくじに本気になる男の人たちの様子。
大吉が出ると「っっしゃー!!!」天に向かってガッツポーズ。「見て、おれ大吉!」「やった!!」ほら見て!!と私にも見せてくれる男性も少なくないです(私ら初対面ですよね・・・)
大凶が出ると、漫画か!!とツッコミを入れたくなるほど落ち込み、この世の終わりのような顔をされます。そしてずっと引きずる。よう今まで生きて来たな。
これ、年代関係がないように思います。
若くても年配でも差が無く、もれなく一喜一憂。男の習性なんでしょうかね?
反対に女性はアッサリしたもので、大吉だろうが大凶だろうがあまり気にしていない様子。女は強し。
さてさて2024年の初詣も楽しみです♪
 

 あ、いま自分の気持ち誤魔化してる。


2023.12.25
先週、長女と食事に行ったときのことです。来月計画している親子旅行の話が出ました。「帰り、アパートに戻らず家に帰ろうかと思ってもう一日休み取った」と長女が言い「あ、そうなんや」とアッサリ答えた瞬間、私の身体がザワッ。

『???』
ナンデこの会話でザワッとするの???

でも会話が進めば進むほど違和感が身体に走ります。そうこうしている内に別の話題になり、ザワッは終わりました。
長女と別れ、一人で運転しながら「あれは何だったんだろ?」とフォーカスした瞬間ポーンと浮かんだのは
『嬉しくなさそうにしたよね』

そう。わたし、長女が家に帰る(一泊する)と言ったこと

めちゃめちゃ嬉しかったんです。

超~~~嬉しかった。ほんっっとうに嬉しくって「やったぁ」って言いたいくらいだった。
のに!!!しらーっとしたんですよ。受け答えも態度も。「ふーん」「いいんじゃない?」って嬉しいのを誤魔化したんです。あんたどんだけなんよ・・・と自分で自分にツッコミました・・・顕在意識で解っている願いには喜べるようになったけど、潜在意識でもっている『無自覚の願い』が叶うと、どうも”わたくし別に喜んでませんし”という思考になるようです。あー愛おしい。
自宅に着いて速攻長女に事の顛末をLINEしました「しらーっとしてたけど本当はすっごく嬉しかった」って。はぁヤレヤレです。それにしても身体感覚ってすごい。絶対に嘘をつけない仕組みだと再確認しました。
さて今日はクリスマス。
末娘と腹立つ顔対決しようっと♪
 

憧れのスタインウェイ生演奏。


2023.12.24
わたしの欲しいものリストに入っている【スタインウェイ&サンズのグランドピアノ】先日、生の音を聴きに行ってきました!
演奏も曲も素敵でしたが何よりピアノの音の温かさに感動でした。一音一音が・・・なんというか”音そのもの”で(ドとかレとかじゃない)私の知っている美しいものを全て併せたみたいな。ピアノ全体が鳴っているよう。聴いている内に音が入ってきて私の体全体も響く感じで・・・自分も楽器になった感覚。
共鳴っていうんでしょうか?
喜びが溢れるってこういうことか・・・と胸から湧き出る温かさを全身で味わいました。こんなふうに感じられる自分も嬉しかったなぁ~。音楽ってやっぱり素敵。ちなみに宇宙も”音そのもの” ”光そのもの”らしいです。どういう感じなんだろう??それを問いかけたら
「あなたのことよ。あなたが宇宙そのものなんだから」
というお答えでした。
ですね!私達は一人一宇宙!


 摂食障害がよもぎ蒸しで治まった話。


2023.12.19
わたしは高校生の頃から30代後半まで摂食障害でした。といってもその当時はそんな言葉を知らなかったのですが。食べても食べ物を体の中に留めることが出来ず、戻してしまう。その生活が約20年間続きました。30歳を過ぎた頃かな?友人が働いていたクリニックに別件で相談に行った際初めて摂食障害という言葉を知りました。
「子どもの頃の親の愛情不足で発症する」
「特に母親からの」
とドクターから聞いた時驚きもしませんでした。
「このままだと内臓に負担がかかり死に至る」と言われてもピンときませんでした。正直言ってどうでもよかった。むしろこれで私が死ねば母親が少しは反省するかも、と思いました。思春期のこどもと同じ思考です。気を引きたくてたまらないってやつです。
食べ物はイコール愛情とのこと。それを体が受け付けないって、私はどれだけ愛情をもらってないという認知だったんだろう。さて、受診しても数年変わらずの生活でしたが転機が訪れます。それはよもぎ蒸しとの出会いでした。
初めてよもぎ蒸しをした日の夜、食事をしても気持ち悪くなりませんでした。そしてそれは次の日も続きました。
「??????」
自分でもビックリ!
それから一度も発症していません。
その時の私はよもぎ蒸しがあまりにも気持ちよかったので3日と空けず予約していました。週2回通い、その内に自宅で毎日するようになったのでずーっと体が温かいまんま。よもぎ蒸しのプロ(?)の視点からすると、当時の私、本当によくやった!!と褒めてやりたい。
多分、体が冷えるとまた元に戻っていたはず・・・。
摂食障害の20年間、常に低体温でした。そりゃそーだ。食べ物を取り込めないんだから体温の上がりようがありません。よく生きていたなぁ。生きたかったんだなぁ。
わたしはあまりこういう事を話すのに抵抗がないのですが、おそらく世間一般には隠したい種類の話だと思います。だから、もし一人で悩んでいるなら安心して蓬屋に来てください。
大丈夫だから。
あなたはとても綺麗なんだよ。

ちなみにそれからの私はちゃんと心が食べたいものを満足するまで食べるようになりました。
1日1食の時もあれば5食の時もあるし、時間も気にしません。おなかが空いても食べたいものが解からない時は食べません。体の声を聴けるようになると無駄食いしなくなります。ほんでね、摂食障害の体験も今の私には「あったあった、その出来事」です。
そんなもんです。

 年内の営業は12月26日まで。


2023.12.18
早いもので今年も残すところ後13日!
蓬屋の営業は12月26日(火)までとなっております。
1月1~3日は最上寺の初詣に立ちますので年明けは1月7日からとさせていただきます。
境内に1日中居るのは寒くて大変でしょう?とよく言われますが、わたし本当に楽しいんです。今回は水筒に何を入れようかな?熱々のアップルティーにしようか、生姜のスープにしようか、途中で足湯もしよう、とか(冷えている時の足湯の、下から幸福感が拡がる感じがたまりません)考えるだけでわっくわく!
あとはやっぱり皆様とご挨拶できること。おみくじを引いて思わず出る笑顔を見れたり言葉を聞けるのは毎年私のごちそうです。
ということで、初詣お待ちしています♪
 

 人間は99.99%くらい正当化している。


2023.12.7
思考(脳・マインド・エゴ)って即座に正当化するんです。肉体を維持する(死なないようにする)為の生存本能の働きって超優秀で、自分で正当化しているなんて思いもしないくらいナチュラルに、そしてスピーディに行われます。
正当化している間は、自分自身を欺いているので即ち外側の自分と内側の自分が分離している状態・・・もれなく荒れた現実を描写することになります。

昔わたしはずーーーっと、子供を親から解放”させる”ことがイイコトだと思っていました。元になっているのは自分が親に縛”られていた”から、という思い込みです。だから高校を卒業したら家を出て自活させることを目標に子育てをしていました。実際子供たちにも小さい頃から念仏のように言い聞かせて。
でもこれ実は全部正当化。
本音は「私が親を嫌ったように、私も子供達から嫌われたらどうしよう」でした。
私の中では離れられる=嫌われているという観念があり、子供の方から離れていかれると耐えられないくらい痛い。
なら私の方から離れましょ
それだと嫌われたことにならないから痛くないもん
という信念からの行動だなんて気付いた時にビックリしました。

自分の正当化に気付いた時に噴き上げたのは罪悪感でした。本当はもっと甘やかしたかった。本当はもっと幸せにしたかった。しょうもない信念の”せい”で子供達へ必要以上に厳しくしてしまった自分を責めました。多分この罪悪感を感じることも怖かったんじゃないかなぁ、と今は思います。
もう何年も前のことなので随分と記憶が薄れてますが。
そこを受容してから・・・子供達との関係性が心地いいものに変わりました。両親に対しても変わりました。この頃すでに彼らを等身大で観れるようになっていましたが、最後の燃えカスのようなモノが溶け切った気がします。
自分の内側から来る痛みって死んじゃうくらい痛い、とエゴは思い込んいますが実際感じても死にません。それどころかそれが”在る”と認めた瞬間、たとえようもない安心感に包まれます。多分本当の安心って、自己統合でしか得られないんじゃないかなぁ。立派なお家や車や服・バッグ、仕事や地位や名誉やパートナーでは自分を満たすことが出来ないから。 

「何を食べても太らなくなりました」


2023.12.6
本来の自分と繋がると、その人にとってちょうどいい体重・体型になるようです。そして本来の自分と繋がるには温かい体が必須。
昨日は体重の話題が多い一日でした。朝一番のお客様はナント毎日足湯を続け出してから”そんなにお腹が空いていないのに何か食べちゃう”習慣がピタリととまり、ちゃんとお腹が空いて「自分が今何を食べたいのか?」と考えられるようになったそうで、好きなモノを食べているのに気づけば体重が落ちていたとのこと。
なにが一番感動したかと言うと、体重は正直ただの数字なのでどうでもいいのですが、そのお客様の「最近なんか楽しい」という言葉と生き生きしたご様子にこちらまで嬉しくなりました♪痩せたけど辛い、だとナンカチガウと思うので。

幸せな時って体は温かく
幸せでない時って体は冷たい
(幸せは主観ですが)
ので!体を温めると脳が「幸せなんだ!」と錯覚します。ちなみに脳は自分と他者の区別がつきません。本当に単純な仕組みなので、それを利用すると簡単に闇から抜け出せます。
今この瞬間の状態が次の瞬間を創るので、今幸せなら次の瞬間も幸せ。今安心なら次の瞬間も安心がやってきます。未来は”今”の積み重ねです。
「私は今、何が食べたい?」と自分に聞いてそれを叶えるという簡単なことから、本来の自分と繋がることが出来ますが、その前に体が冷えていると”自分に聞く”が難しい。だいたい冷えている時って考えが狭くなっていて「太らないようにカロリーが低いものを」とか「体にイイモノを」とか思いつくので・・・。20年間摂食障害だった私が言うんだ、まちがいない(よもぎ蒸しで治ったんです)ということでご自宅での足湯、おすすめです。面倒くさい人は蓬屋へどうぞ♪内臓から温めますよ~!

めちゃ笑った話。


2023.12.5
先月和尚さんと末娘と3人で中津のバルンバルンの森へキャンプへ行ってきました。とっても可愛い世界観のキャンプ場で、どこを見ても絵になる風景に胸が躍りっぱなしでした。
泊まった翌朝のことです。私達のテントサイトは駐車場まで数十メートル離れています。荷物をまとめ終えた時に和尚さんが娘に「車を取りに行くから、一緒に荷物持って来て」と言いました。
え?車を取って来るなら荷物持って行く必要なくない??と瞬時に思いましたが、娘は「はーい」と快諾して両手に持てるだけ持ち既に歩きだしています。
えええ????誰も、なんも、疑問に思わんの???父と娘で両手いっぱいに荷物を持って行く姿が平和過ぎて笑いが止まりませんでした。
多分以前の私なら「効率悪い」などと言っていたと思います。それも威張り散らして(笑)ほのぼの劇場の登場人物になれた気がして嬉しい出来事でした。
※バルンバルンの森は絵本の世界を創りたい想いから出来たキャンプ場だそうです。帰り際に寄った場内のカフェでオーナーさんがお話ししてくださいました^^


 焼きそばでドカンときたお客様。


2023.12.3
嬉しいご報告を頂きました。
お客様がご自宅で焼きそばを作っている時にご主人とのやりとりで”自分が今何を感じているか”を認知したら普段とは違う会話になったそうでビックリと嬉しいを感じた、と。
その後に何故かそれをご主人に伝えたくなり「さっきの嬉しかったよ」と素直に言ったところ、いつもならすぐ茶化すご主人が照れていて、素直になれた自分にも、ご主人の様子にも驚いたそうです。
そして「満たされた感覚があった」とのこと。ご主人の反応に「!!(現実を変えるって)ああこういうことか!!」と電気が走るというか、ドカーンと来る感じと安心感の両方を味わったようです。
「まさか焼きそばでドカーンと来るとは思ってませんでした・・・もっと何かこう大きな出来事があって理解するみたいなのだと思ってたので・・・まさか焼きそばで・・・」
と仰ってましたが、そうなんですよ。理解が降って来るのって本当に些細な事(宇宙からすると大きいも小さいもありませんが)で起きるんです。実はめっちゃ簡単。
というか、日常・この毎瞬が実は常にメッセージという。だから何が起きようが、どんな現実だろうが”手詰まり” ”もう終わりだ” ”打つ手がない”なんてことになりようが、ない。
常に扉は無数に用意されている。
なんなら今日の朝ごはんからでも自分を読み解ける。今の空の色からでも、今の呼吸からでも。それを受け取ればいくらでも現実を変える選択が出来ます。
さて、お互いの意見(正義)のぶつけ合いから、お互いの本音の会話になると本当に気持ちが良い関係性が築けます。どうぞ益々豊かで幸せなご夫婦に❤素敵なお話をありがとうございました!
 

 心の内を出せる安心安全な場所。


2023.11.27
先週の土曜日にかねてより計画していたお茶会を開催しました。今回は蓬屋で講座を受けてくださった方限定でしたので

  • 他人に言いたいことは自分に言いたいこと
  • 誰もが”痛み”を持っている

この二つが共通認識である安心感から、会話が弾む弾む❀何を差し出しても受け入れられるって最高の喜びだと思います。私も皆様のお話を聞きながら、感情がたくさん動き、沸いてくる想いに「ああ、私はいまこんな風に感じているんだなぁ」と味わいながらお喋りを楽しみました。
終始感じていたのは「ああこの世界いいなー」という心地よさ。私の願う世界は「だれもがあるがままの自分で居て、心から安心で満たされた世界」なんですが、まさにそれが創られていて嬉しさがじわ~~~と”在る”感じ。いまでも続いています。だれも”寂しい”がない世界。寂しいが在ったら即座にそれを受容し、安心で満たされる世界。これは目一杯”寂しい”から逃れようともがいた私にしか創れない世界です。
※たとえ言葉では同じ”寂しい”だとしても、その人その人によって中身が違うので※
ご参加くださった皆様もそれぞれ心地よさを感じられたようで、本当に楽しい会となりました。素敵な時間をありがとうございました!
お写真撮るのを忘れたので、お茶会メンバーで共同購入をしたtotonoi Pizzaをパチリ。 スパイシーナスとビーツのピザ、最高でした。

 最上寺開運セット完売です。


2023.11.27
先日発売開始した、年末年始特別企画の1つ”最上寺開運セット”が売り切れましたのでお知らせします。
50セット限定だったのであっという間でした。。。たくさんのお問い合わせもありがとうございました!
”福塩”の方はまだもう少しございますが、こちらも残り少ないのでご入用の方はお早めに。最上寺本堂と蓬屋店頭にてお求めいただけます。
どうぞよろしくお願い致します。 

蓬屋の紅葉が見頃です。


2023.11.24
楽しみにしてくださっているお客様も多い、蓬屋の紅葉。私も毎朝毎夕色が変わる様子に連日感嘆の声を上げています。本当に美しくって!!!
ギンモクセイの奥のモミジは今が最盛。テラスに一番近い子はちょっとだけ色づいてきました。11月いっぱいは続くといいなぁ。
ご予約のお客様、どうぞお楽しみに♪ 

 「蜷川さんは半分でも強いので」


2023.11.23
娘からりんご飴のオファーがあり初挑戦しました。ちょっとだけ飴を厚くして私好みに作ったところ娘も美味しい美味しいと喜んでくれ大成功!しかし私の銀歯が取れてしまい(^▽^;)さっそく歯医者さんに行きましたが作り替えないとどうにもならないとのこと。
そして先生から言われたのが「蜷川さんは嚙む力が相当強いんです。半分でも強いので、食べる時は少しの力でゆっくり噛んでください」でした。
なのでその日から四分の一(気持ちの上で)の力でお食事をしています。ホホホ。噛み方を変えて痛感したのが、これ人生そのものやん、です。生き方は全てに表れると言いますが、正にそれ。”優しく噛んで回数を増やす”を意識しだすと、あら?わたし食べてない時もギッッて噛んでいる・・・!と気が付けるようになりました。というかビックリしました。こんなに普段から力いっぱいだったなんて。
噛み方を変えて3週間ですが色んな人から「顔が柔和になった」「優し気になった」と言われます。えーえーそらそうでしょうよ。血気盛んの時から比べると四分の一の力で生きているんだもの(当社比)
ふしぎなことに、その方が100%の満足感に近づいている気がします。
全力で生きている時は渇望感ばかりだったのにね。 

おしゃべりが下手になりました。


2023.11.17
※前記事の続きです
言葉はエネルギーを固める性質がある。それって言い換えたら「これは、こうだ」という決め付け。

「長女だから」
「次女だから」
「末っ子だから」
「一人っ子だから」
他にも日本人が好きなのは「A型だから」家族構成や血液型などによる決めつけ。大人(主に親)によるラベリングは子供の性格形成に強く影響すると思います。わたしはずっと自分の事を「私はだらしがない」と思い込んでいました。いつも母が私自身に言っていたのと、よく他の大人に対して私の事をそう説明していたので。
ところがこの世に”だらしがない人”って居ないんです。キッチリした人もしっかりした人も清潔な人も卑怯な人も正直な人も、世界のどこにも居ません。良い人も悪い人も居ない。
自分の主観で、そう言葉で決めつけているだけです。そして相手をこうだ、と決め付けた瞬間から相手がそうとしか視えなくなります。
自分の現実を、主観を入れず事実を事実として捉えるようになると”決め付け”のしようがありません。主観が入ると即座にエゴのジャッジ(善悪での裁き)が起きるので・・・。
と、いうことで昔はポンポン会話してましたが、ここ数年は会話中に「あ、これ決めつけ?」「あ、ジャッジ?」と気を取られ、おしゃべりが下手になりました(←ちなみにこれも決めつけです)そしておしゃべりがもっと好きになりました^^

誰かと話しをしていてやりがちな、話題の乗っ取りや同調やアドバイス。言葉はエネルギーを固めるという特性を知ってからは格段に減ってきました。その人の感情はその人だけのモノだから、私の言葉で決めつけるのは単なる干渉。
それを子供が小さい頃は散々やっていました。話もろくに聴かず状況だけで「それは悲しいよね」「わかるわかる」「よかったやん!」・・・悲しいかどうか・よかったかどうかは本人が決めること。今は「どう感じたん?」と”対話”が出来るようになりました❀ 

言葉はエネルギーを固める。


2023.11.16
先日の記事で「(言葉は)エネルギーを固めるには便利」と書いた一行に結構な反響があり、ご質問をいろいろと頂いたのでお答えしたいと思います。
「うれしい」「かなしい」など感情を表す言葉はたくさんありますが、あれって人間が区別するのにラベリングしただけで、実際はなんとなく性質が違う(厳密に言うと周波数の違い)エネルギーというだけの話。
けれど、例えば「かなしい」という言葉で表現した途端そのエネルギーはもう「悲しい」に固定されます。本当は様々な性質のエネルギーが混ざり合った状態のものが「悲しい」だけになるというか。
そして名前が付けられた(言葉で表現された)エネルギーは力を持ちます。
一番わかりやすいのは”病名”
とある体の状態を”症状”と表現しエネルギーを固め、さらに「〇〇病」という言葉で固める。病名が付いた途端その”症状”は力を持ちます。
・イライラする
・顔が火照る
・急に落ち込む
「これって”更年期障害”よね~、もう年だし」
・・・いろいろツッコミたいのですが今日は言葉の話なので省くとして、こうやって人間は自分から病気になりに行くことが多々あります。
反対に、名前が無い・言葉で表現ができないことで不安が生まれることも。対象となるエネルギーが固定されないことによる恐れ、です。
ハリーポッターでも”名前を言ってはいけないあの人”が恐れられていたり。
これって良い悪いではなく、言葉にはそういう特性があるというだけなのでその性質を上手く使いましょうという話です。
言葉に振り回されず、使う。
振り回されている時は感情が教えてくれます。イライラ・モヤモヤ・カチン!が合図です。
エネルギーを固める特性があることも知らず言葉を使っている私達。そりゃ争いが絶えず起こるわけです。
日常的にしているのが《言葉を使って相手をラベリング》じゃないかなぁと私は思います。
”相手をこうだ、と決めつけて話す”というのは本当に巧みに私たちの世界に入り込んでいるので。

続く。

 大切な人へのプレゼントに大好評です。


2023.11.12
今月から販売しています!
〇新年特別開運祈願《福塩》
〇最上寺の開運セット

どちらも数量限定です♪
ご自宅用はもちろん「今年一年お世話になった方へ」とご購入される方が多くこちらも嬉しくなってしまいます^^

使い方としては
〇福塩
大晦日のお風呂に半分、新年初風呂に半分入れる
〇開運セット
冬至のお風呂に浄化スプレーをお風呂に入れ、大晦日のお風呂に禊の祓い塩を入れ、福塩を新年初風呂に入れる
が、おすすめです。

菩薩様のシールと最上寺の松葉を使ったラッピングも評判が良くて和尚さんも喜んでいます。
数に限りがございますのでお求めはお早めに!
蓬屋店頭と最上寺本堂にてご用意しております。
よろしくお願い致します。

優しいお客様。


2023.11.11
蓬屋のお客様って全員本当に優しい。きっぱり断言できます。何を以って優しいとするかは人それぞれですが”私の思う優しさ”を持っている方ばかり。私は優しい=受容だと思っています。昔は優しい=同調・寄り添う事だと思い込んでいて、今でも時々その思考癖がコンニチハと覗かせることもあります。瞬間胸がザワッとするので分かりやすいエゴです。
先日とあるお客様とお互いの子供の話になり「そういえばウチ、長女がお父さんとキャンプに行きましたよ~」と口にした所即座に
「…蜷川さん、本当によかった…」
とお客様が仰いました。一瞬、?となりこれまた即座に「ああ!」となった私。
『そうやった、ウチ再婚家庭やったわ。そっか、いや本当にスゴイな、23歳の娘が父親と二人でキャンプに行くのもスゴイけど、血が繋がらなくても良い父娘の関係が出来てるのすごいわ。20代とか血が繋がってても私は両親に近づきたくなかったもんなー』一気にそんな思考が巡りました。そしてそのお客様の優しいエネルギーに密かに感動。その時はうまく言葉に出来ませんでしたが胸が温かくなったのを感じ、それは夜まで続きました。閉店後体にフォーカスして沸いたのは『受け容れられた感』です。私は言葉ってオマケみたいなもの(エネルギーを固めるには便利)で、伝わるのはエネルギーだと常々思っており、それをしっかり体感できた出来事でした。
同調や寄り添う事が”優しい”だと思い込んでいた私だから解ります。嘘くさい優しさがどんなものか・・・「こう言えば相手に寄り添ったことになる」みたいな感覚で長く生きていたので・・・。だから「優しいね」と言われても「そんなことない」という想いがずっとありました。そう言われる為に頑張っていたのに実際言われると本気で否定するというなんて矛盾した生き方。そら疲れるわな。「寄り添わなきゃ」が無くなった今はとても楽ちんです。
いつもお客様が終わる度にホコホコした感じになるのは優しさをもらっているんだなぁと思います。人によっては愛とか幸せとかラベリングが違うかもしれませんが、要は温かなエネルギー。今、書きながらもホンワカ。受容って気持ちがいいです。皆様本当にありがとうございます♪
※黄色が和尚さんで、ピンクが長女。「このキャンプの為に全部新調したらしいよ、愛がすごい」父親の張り切り具合と冷静な長女のコメントの差が私のツボでした。

 感情の渦の外から観る。


2023.11.9
久々に強烈な寂しさがやってきました。昨日、昼間に長女とお出掛けを楽しみ、夜寝る前も余韻に浸っていた所、なーんかチラッと負の感情が沸いた気が・・・。今、言い聞かせたよね?わたし。何かの恐れを言い聞かせて”無い”ことにしようとするのはエゴ(生存本能)の得意技!探ってみると出たのは「さみしい」でした。
うん、さみしい、あるなぁ~。といつものように味わっている内に色んな想いが沸いてきました。「一人が寂しい?いや違う」「一人が寂しいなら、誰と居ても寂しいもん」「状況や環境じゃない」「じゃあなんなん?」ノートに全て書き出していきます。最近は大体のところで”自分の望み”まで行き着くのですが、昨夜は全く出ず。それどころか意外なワードがバンバン出てきました。今朝起きてもモヤモヤが強く、珍しく軽~い頭痛まで起きていて「久々に大物かも」と別の自分がワクワク。
午前中いっぱいよもぎ蒸しと半身浴で体を温め、自分に戻る作業をしてみましたが寂しさは強いままでした。私の場合は寂しさを感じると即座に「生きるのが面倒くさい」という思考になるのですが今回は「もうそれでいいや~」とそれすらも受容。するときたきた来ました!理解が降って来る瞬間が!夕方、友人と電話で話していたら
「ああそうか、この寂しさは”今のモノ”では無いから”今の私”が創ってないんだった」
ポーンと沸きあがってきた瞬間スッッッキリ。怒りも悲しみも不安も、過去の未消化の感情が何かに触発されて”今”再燃焼しているだけ。←昨夜散々唱えましたがエゴが抵抗したんでしょうね、時間差で理解がやってきたということは。
感情の渦に巻き込まれるとオオゴトになるので、いかに外から観れるかが鍵だなぁと今回しみじみ感じました。

 ”楽しいからする”も痛みの回避。


2023.11.5
蓬屋の講座を受けてくださった方がよく「好きなモノや好きなコトさが変わってきた」と仰います。
先日もよもぎ蒸しに来てくださった方が「これまで楽しいと思っていたことが楽しくなくなって、意外なことに幸せ感じたり、その自分が嬉しいです」とお話しくださいました。

現実に振り回されている時って、自分に軸がない・核がない状態。そんな時ってその現実に対して
A.がんばって克服する
B.関わらないように逃避する
このどちらかの行動しか取れません。
自分がナイ状態の時の「楽しいからする」は十中八九”逃避”です(場合によっては克服とも取れるけれど回避行動なことに違いありません)
楽しいから——自分の求める”楽しさ”ってなんでしょう?自分に軸が無い状態で欲する楽しさって大体”興奮・刺激”です。
おそらく”楽しい”は幸せなことだという思い込みから来ているはず。実際そうなんですが、自分の中にある楽しさの定義が”興奮・刺激”だとしたら、幸せ=興奮・刺激という方程式が在ることになります。
「きゃーっ!!やったぁ!!!」
・・・これは幸せではなく興奮です。興奮は冷めます。幸せは”続くもの”です。興奮は続けることが出来ません。肉体に負荷がかかるので維持できないシステムになっています。そして冷めた時、かならずもっと強い刺激を欲するようになります。

自分の内側にフォーカスしだすと、自分が本当に望んでいることが解ります。
楽しさって幸せって
自分の本当の望みが叶うこと。
その時の楽しさは興奮とは真逆のもの。だから冷めません。そして”自分の本当の望み”が解かると”好き”も変わってきます。
執着の好きなのか、ただ好きそのものなのか。自分と繋がりだすと執着での好きは格段に減り、好きなモノは好き!と変化してきます。
わたしですか?
わたしは甘酒がもっと好きになり、
苦手だった”人との関り”が好きに変わりました。
自分に対しても変わりました。
わたしは、ずっとワタシのそばにいたいなぁと思います。 

お茶会のお知らせ。11/5追記あり


2023.11.4
※定員となりましたので受付終了とさせて頂きます(11/5)

自分一人で考えるのって限界があります。自分が意識できている(=顕在意識)中で見つかる答えってどこまでいっても同じ答え。
誰かからの問いかけや、誰かと話すことで自分に無い意識(自分に無い世界)が入り、無意識領域が動きます。
だから人と話すと嬉しかったり、悲しかったり、腹が立ったりするわけ。

”誰もがみんな痛みを抱えていて、それを回避する行動をとってしまう”
”相手に言いたいことは自分に言いたいこと”
この2つの共通認識があると、受容が生まれ、会話ができるようになる。
——普段私達がしているのは会話ではなく”単なるエゴの押し付け合い”です。”会話が成立する”ってすごいことなんです。

その2つの共通認識の元のお茶会、自分の中を安心に出せるシェア会を開催します。自分の内側に何があるのか?自分の現在地が解かる会。
なんて書きましたが実態は私が誰かと美味しいお菓子を食べたいだけの会です(*^-^*)
参加ご希望の方はLINEください。

11月25日(土)
10:00~12:00
定員4名
会費1500円
※今回は、蓬屋にて講座を受講したことがある方限定とさせていただきます

家族や友達でネガティブになるのは所有物だと思っているから。


2023.11.3
”ピラミッド社会=所有の概念”
生まれた時からその社会で育てられた私達はどっぷり所有の概念に浸かっています。
所有するか、されるか。
ピラミッド社会で言う”心の距離が近い相手”——心の距離が近いとか遠いとかがもうね、もろジャッジですね——家族には感情がものすごく揺さぶられるのは

相手を自分の所有物だと思っているから。

他の人から言われても腹が立たないのに、母親から言われるとものすごく怒りが沸く、なんてことも良くある話です。
「お母さんに自分を投影しているからよ」などもありますが、エゴの抵抗でそれが受け容れられない人は所有物の視点から観ると入りやすいかもしれません。どちらにしても
自分=相手になっている状態です。
すごーく苦しい。自分も相手も。

「子どもは親の言う事を聞くのが当たり前だ」「親は子供の言う事を聞くのが当たり前だ」の根底にあるのは所有の概念です。
あんたは私のモノだから、私の言う事聞きなさいよ——強烈な”正しさの押し付け”です。

  • 結婚したんだから
  • 親なんだから
  • 子どもなんだから
  • 家族なんだから
  • クラスメイトなんだから
  • 親友なんだから
  • 同期なんだから
  • 部下なんだから
  • 上司なんだから

所有する側か所有される側かは人によりますが、所有が基準になっていることに違いはありません。
心の距離感とやらがあるのであれば、相手に対しての《所有の度合い》かもしれないなぁと感じます。
そして所有の概念があるということは、同時に執着心があるということ。もれなく望まない現実がやってくる、すごい仕組みです。

 内観するには誰かと話すと早い。


2023.10.22
人は人によって傷つくけど、人によって癒される。そして自分の内側を観るには誰かと話したり関わると本当に早い!(漢字あってるのかな?速い?)
自分一人でもあらかた出来るけど、同じところでぐるぐる回る感じの時があって、そういう時は誰かと話すと「あぁっ!それ!!!」となることが多々あります。ここ数年で内観仲間が増えてきて、話すたびにスコーンと来る感じがあり随分”自分の中の痛み”と仲良くなってきました。会っている時にスコーンとこなくても、後日大きな「あぁ・・・これかぁ・・・・」と胸がじんわり温かくなったり、涙が溢れたりと様々なパターンで理解がやってきます。
私が発した何気ない言葉で相手が「それや!!」となったり、それがすごくおもしろくて(興味深いのオモシロイ)毎日が安心で包まれている感じです。
人ってやっぱり人が好きなんだと思います。誰かに受容されると嬉しくなるし、欲しくなるのは自然なこと。もちろん自己受容は必須ですが。
そしてそれを提供できる場所で在りたいなぁと思います。
 

 お客様の信念あれこれ。


2023.10.15
人間はそれぞれ自分を守るために創り出した、自分独自のルール(信念)で生きていて、それが生活全てに適応しているとしたら・・・?
思考リセットコースで、その”自分独自のルール”つまり”今現在のあなたを自動的に動かしている信念”を探って解いていくと、皆様それぞれ本当にいじましいと言うか何というか、愛おしさで胸がきゅーっとなる信念をお持ちです。

  • どうせ私は愛されない
  • どうせ私は理解されない
  • 私には居場所がない
  • 私には価値がない
  • どうせ私は認められない
  • 私は居ちゃいけない
  • どうせ私は自由がない
  • どうせ私は置いて行かれる
  • どうせ私は貰えない
  • どうせ私は可愛くない
  • 私には力がない

などなどこれ、ほんの一例です。
なにがいじましいかって、これらの信念が創られたのは恐らく本当に小さな頃で、ちっちゃい頭で一生懸命に考えた事だと想うと胸が震えてしまいます。
誰か(主に父や母)を
おこらせない為に
かなしませない為に
必死で創った自分のルール。これが大人になった今では自動運転すぎて、まず気づけません。けれど合図は毎瞬来ています。「このルールで生きるのは本当の望みじゃないよ」って。それがイライラ・モヤモヤ・カチン!不安や不満はメッセージです。
この仕組みを知るだけでも心と体が軽くなります。思考は必死で抵抗しますが^^その抵抗は最高の鍵なので否定の気持ちがわいたらチャンスです♪

 「なんで私は貯金をしないの?」


2023.10.9 
ノートにその一文を書きながら既に答えが脳裏に浮かびます。

「だって有ると取られちゃうから」

この回答に「ああ!」となりました。物心ついたころから「うちにはお金がない」という両親の言葉を聞き、誰か大人からもらったお小遣いやお年玉は「子供が大きいお金を持つもんじゃ無い。お母さんが預かっておく」と全額渡すシステムで育ち(高校に上がるまで)それが返ってきたことは無く「うちはお金が無いから仕方ないんだ」と、なんとなく思い込んでいました。
お小遣いが欲しくて小4から小6まで毎日新聞配達のアルバイトをしていましたが、毎月の収入を例のごとく「大きいお金は」の名分で、私が受け取れる分は端数の小銭だけ、と何故か母と取り決めがありました。端数が600円なら600円がその月のお小遣い、というわけです。
「だって取られちゃうから」がポロッとでた瞬間、それらを一気に思い出し「そりゃ貯金なんてしたくなくなるよなぁ」あったら取られるという観念があれば当然です。支払いが確定した分は用意が出来るのも納得。そしてここで、自分の”痛み”とつながっている事に気が付きました。
 

 自分のお金に対する概念は、ほぼ親からのスライド。


2023.10.9
「お金がない」が口癖の親を持つと、大体”お金=無いもの”という概念(観念・価値観)を持ったまま成長します。良くも悪くも、その”お金=無いもの”を基準にした生き方となります。
みたいなお話は世間一般的によく聞きます。その仕組み?を知ればアナタも変われます!みたいな。でも私は全く現実が変わりませんでした。

常に、無い。

むしろそんな事を知って親への恨みが増えましたよ。「冗談抜きで毎日聞かされてたわ~」って。
”お金のブロック”なんて言葉も流行り、そういう講座や本も読みましたが、解決策が”お金を好きになると良い”や”お金に感謝しよう” ”お金さんを信じること”など、なんかもう・・・聴きたいことはそうじゃね~、という解答ばっかりで。「今だってお金好きやし!」「信じるのやり方教えてよ!」それらのもっと手前の事を知りたかった私は、とにかく不安が出る度にノートに書き出しました。そんな中ふと「クレジットカードの支払いは、いつもなんとかなってる」と気づきます。
”あれ??私って貯金はできないけど、出る分の用意は出来るんだよな”——これって改めて考えると本当に不思議で、自分自身に訊いてみました。できない、のではなくて ”しない” だけじゃないか?と思って。 

私の中にあるお金に対しての恐れ。


2023.10.8
私達人間って個人個人みんな”自分独自の信念”を持って生きています。
「私の人生は波乱万丈だから」が口癖の人は波乱万丈な人生になり、「逃げるのはダメだ!」と思い込んでいる人は逃げざるを得ない状況をよく創ったり、「この世は修行だから」と言う人は本当にこの世は修行の場となります。
その”自分独自の信念”の正体は自分の中の痛みを回避するために自分で作った愛おしいルールなのですが、この信念は全てに作用するので厄介な現実を引き寄せることに・・・。
私の場合で言うと「どうせ私は選ばれない」という信念があり、その根っこにあるのは「置いて行かれる」とか「離れてしまう」という痛み。自分から誰かや何かが切り離された(と思い込んだ)時の”さみしさ”が強烈に痛いんです。今、書いていても体がキュウッとなります。そのさみしさを味わうのが怖くてこれまでやってきたのが
「だったら最初っから無い方がいい」
と、全てを自分から切り離すという生き方です。
相手から離れられるのは耐えられないから、私の方から先に離れる。これが見事にお金との関係にも適応され、常に”無い状態”をキープする人生でした。有る、が無くなっていく(離れていく)のに耐えられないから。
同じ「離れるのが怖い」痛みでも、私とは反対に「じゃあ無くならないように抱え込む」という生き方の人もいます。お金に対してもパートナーに対しても。

ずっと「有る」をキープしていく人生は一見豊かに思いますが少しでも減ると「取り返さなきゃ!」—焦りと不安が働くのでそれはそれで苦しく。ストックを減らさないように必死なので必ず何か(健康や人間関係)が犠牲になっています。
さて、私の場合自分の中の信念や痛みが解かってから、お金の流れが変わりました。

 好きなことを選んでもイマイチなのは③


2023.10.7
続きです。
おそらく何の躊躇もなく「これ好き」「これしたい!」とやりたいことを選べる人って本当に少数だと思います。
やりたいことがあっても、家族や職場の人など「誰かに迷惑かけるから」と考えてしまったり、「お金が」「時間が」「世間体が」「もう年だから」など、いろーーーんな事が頭をよぎる人が世の中大多数。
これらの言い訳は全て”恐れ”
自由に好きを選んだらどうなっちゃうのか?を妄想し、言い訳して自分を正当化する。みんな怖いんですよね、社会からはみ出るのが。はみ出たら生きていけないと”思い込んでいる”から。
さて、その”恐れ”の気持ちですが昔の私の場合は力でねじ伏せていました・・・。「いいんよ、これで!!」「嫌われたっていいもん」「明日死んだらどうするん」が口癖でしたねぇ(遠い目)
”恐れ”に目を向けると痛い(不快)なもんだから回避するのに必死。だから常にエンジン全開ゴーオンジャーでした。回避するって、ものすごく無駄にエネルギーが要るので・・・。
蓬屋を始めたあたりで「なんで好きを選んでもイヤな現実になるんだろう?」と視点が変わり、真剣に(深刻にではありません)考えました。分析していく中で怒りや不安など負の感情が沸いたら書き出すという手法と出会えたことは私にとって本当に僥倖で、実践していく内に「好きなことを選んで幸せな現実」がどんどん増加!今思えば、負の感情を書き出す=ダメとする自分を認める→自己受容度アップ、ですから増えない訳がありません。
そして更に《自分の好きを大切にした生き方》へと変わっていきました。それと共にお金との関係も変わってきました。 

好きなことを選んでもイマイチなのは②。


22023.10.7
続きです。
「自分の”好き”を選べばご機嫌な現実になる」確かにそうなんです。でもその当時の私は”好き”を選んでも散々な結果になることの方が多く、心から「あー幸せ♡」となったのは1割くらい・・・。下手な鉄砲数打ちゃ当たると言いますが、このままでは当たるまでに死を迎えてしまうと思った私は分析しました。
そして気づいたのです。散々な結果になる時は”好き”を選ぶ前に

自分を変える為にやりたいことをしなければ

という、それはそれは重い感情があったことを。”変える為に”と恐れがあったんです。
反対に「あ、これ好きー!」「やりたーい」と軽い気持ちで決めたことは大満足な結果になっています。パートを辞めて蓬屋開業したのも、その内の1つです。
恐れから選ぶと必ず後悔や不満・不安を味わう結果に。喜びから選ぶと大満足の結果に。
選ぶ前から結果は決まっている。

「イヤな事が起きたから、イヤな気分になるのでは無く
イヤな気分だから、イヤな事が起きるんだよ」
思考が先、現実はあと。
だからいくら”好き”・”やりたいこと”を選んでも結果がぱっくり分かれる、起点が恐れからなのか喜びからなのかで現実が決まる、ということを身を以て知りました。
続く→


 好きなことを選んでもイマイチなのは。


2023.10.5
12年ほど前から人生を変えたくて色々と取り組んできました。中でもいちばん影響したのが
”好きなことをしていればご機嫌な現実になる”
という考え方です。
ただこれを、その当時の私は言葉通り受け取り「とにかく”好き”を選べば良いんだ」とバッファローのごとく実行しました。パート先でも家庭でも子供の学校関連でも、どこでも。でも自分が好きと思ったことだけをする、は他人の顔色を伺う天才だった私にとって至難の業。実行するたびに罪悪感がセットで現れ、それを「いやこれでいいんだ」「変わるんだ」と言い聞かせながらの日々で・・・。
するとどうなるかと言うと「あーあ、やっぱりしなきゃよかった」という結果がほとんど。好きを選んでも、結局揉めたり問題が起きたり嫌な思いをしたり散々でした。「どうせ私は”好き”を選んでも不幸にしかならないんだ」と何百回絶望した事か!
本には「気にしなければ良い」とか「突き抜けちゃえばいいんです」とか「相手に感謝を送りましょう」とか書いているけど、それが出来んからこうなっとんのやないかい!と腹を立てたもんです。
続く→ 

※10/7加筆修正しました

 朝足湯。


2023.10.4
お盆過ぎてから、ほぼ毎朝足湯をしています。お彼岸までは足湯でジンワリ汗がにじんでいたのに、秋分の日を迎えてからは汗が出るまで時間を要するようになりました。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、昔の人の叡智には頭が下がります。
朝晩の空気がぐっと澄んできて肌寒さを感じる・・・この”感じる”って肉体があるからこそ出来ること。皮膚の外側での刺激が体験となり、それに対して皮膚の内側にある感情が動く=感動する(怒りも悲しみも嬉しさも全て”感動”です)
肉体が、外と内を繋いでいるという事実は学校では教えてくれません
体が無かったら、恐怖も喜びも感じられないことも。
思考と感情という観えないモノを、肉体という視える物質が繋いでいる。「分かっているけど足が動かない」「やろうとすると頭が痛くなる」——体は本当に正直です。その思考が、本当に自分が望んだことかどうか、体を感じてみれば丸解り。いつも”結果・現実”を教えてくれています。感情(ハート)が受け取った直感を、思考(マインド)が叶える方法を考え、肉体を使って行動に移す。必ず三つで一つです。私達はいつもそれがバラバラだから上手くいかず、あきらめるか力業でなんとかしようとする、の2択で生きる羽目に・・・。
さて、肉体のメンテナンスに最適なのは―—よもぎ蒸し!体が温かいと思考と感情の連携もよりスムーズになりますよ♪ご予約お待ちしています! 

 人生を変えるって地味作業です。


2023.10.3
人生を変えるって何かこう・・・劇的な何かが起きてとか、すっごい奇跡が起きてとか、インドに行って世界観を変えるとか、血がにじむ様な苦労の末に、みたいな感じだと誤解されていますが、実際は、とーっても地味です。
ひたすら自己受容です。ちまちまちまちま自分を受け容れる一択。これを無くして自分(=人生)は変わりません。(ちなみに自己受容が天然で出来ている人も世の中には大勢います。なんてうらやましいッ!)
そして何より大切なのは「自分が変わりたい!」という意思が無ければ変わりません。「誰かに変えてもらいたい」と思っている間は無理です。
思考の整理をしながら人生を変える作業の1つとして現実で出来ることをお伝えすると、え?そんなことでいいの?と驚かれることが多々あります。”そんなこと”ができてないから”こんなこと”になってるんですけどね、私達現代人は。
特効薬的な何か、はありません。人生を変えるのは”些細な事”です。 

※実際は”変わる”というより”戻る” ―—新しい自分に”なる”のではなく、本来の自分に”戻る”、結果人生が変わる、です。

一気に現実を変えたいよね。


2023.10.2
9月は、思考リセットコース(旧:思考改革コース)のご予約が過去最高件数でした。大体「今、これこれこういう事に苦しんでいます」という状況が多く、やっぱり求められるのは”それから逃れる方法”や”今すぐ楽になれる方法”です。
極端な話、あるにはあるんです。その方法。

自分の現実は自分が創っている

これを本気で理解した瞬間、全ての問題が解決します。ええ、見事に全ての苦しみから解放されます。
自分の現実は自分の信念から出来ている、とも説明しますが、言葉では分かっても、意味をすんなり理解できないようにしているのが私たち人間です。
これまでに刷り込まれてきた倫理観・宗教概念・ルール常識道徳心などをフル稼働させて理解できないようにするんです。エゴの罠・思考の罠・自我の罠・・・色んな言い方がありますが全部同じ、生存本能からの抵抗です。
この社会で生き抜くには「自分の現実は自分で創っている」なんて理解しちゃうと都合が悪いから、生存本能さんも必死です。それまで「だれかのせい」「なにかのせい」で生きていたのに、それが出来なくなっちゃう!大変だわ!理解しないようにしなきゃ!!ってね。
  今すぐ楽になれるかどうかはご本人次第ですが、一気には理解できなくても「目の前のトラブルも過去のトラブルも、登場人物や環境は違えど同じなんだ、鍵はワタシなんだ」と腑に落ちるだけで新しい道が現れます。

9月は素直になった方がたくさん♩良かった良かった~。楽しい10月になりますよ、きっと。 

 正直言ってルールがある方が楽です。


2023.10.1
決められたルールに従ったり、だれかに指図されたり・・・他の人の言う事を聞く方がハッキリ言って楽です。支配されている間は考えなくていいから。でも楽しくはありません。
自由って全部自分で選べること。それってつまり『自分で選ばなきゃいけない』ってこと。ルールや常識・宗教概念や倫理観を刷り込まれた私達現代人にとっては、これが本当に怖く感じます。

だってだれのせいにも出来ないからね。

でも、楽しい。
楽ではないけど楽しいんです。私が私で居て良いんだと心から思えると(刷り込みが無くなると)楽ではない、も楽しく感じるんです。それが面白味となる。※そもそも「楽ではない」なんて受け取り方をしなくなります※

「ありのままって過激なまでの正直さ」という言葉を知った時に衝撃が走りました。それまで”ありのままで居る”というのは楽な自分・リラックスした自分になる事だと思っていたから。
ルールに従うのが善とする人達の方が多いので、どうしても私のような生き方は理解されにくい。過激なまでの正直さ、がないと”ありのまま”では居られない。
でも年々、似たような考えの人が増えてきました。だれかのせい・何かのせいにして生きるのって楽だけど満たされないもんね。誰もがありのままの自分で気持ちよく過ごせる世界は確実に拡がっています。

だって私は悪い子だから。


2023.9.29
以前から私は内省していくと、必ずこの言葉が出てきます。それも段々と強さを増して。そしてそこを視ようとすると、眠くなったり他の用事を思いついたり・・・エゴの抵抗度合からすると結構強烈な傷があるようです。でも膿は出たがってる。ということで今日はじっくり観てみました。
「だって私は悪い子だから」
そこから観ていった結果出たのは

私が生まれたせいでお母さんが自由になれなかった。ごめんなさいごめんなさい、なんでもするから許してください

”どうか私を罰してください”でした。

小さい頃から母が私に言い続けている言葉「あんたが出来たから離婚できんかった」―—幼少時の私にとっては耐え難い言葉だったと思います。だから私は私を責めた。そして今でも責め続けている。

大人になった今では その言葉を母が言うと滅茶苦茶怒りが沸きますが(即書き出し案件です)子供の頃は「言われて当然なんだ」だった気がします。
―そうか、私が常に感じている罪悪感の根っこはこれかもしれないな、とスッキリ。いや~これはエゴが隠したがるはずだわ。超絶痛かったもん。エゴもありがとうね、隠し続けるのって大変だから。

この世で一番辛いことは。


2023.9.28
それは「自分が自分を理解できないこと」だと思います。
=本当の自分とのつながりが切れてしまっていると”思い込んでいる”状態の時、私達は強烈な寂しさ・足りなさに襲われ、その欠乏感を誰かや何かで埋めようとします。自分の皮膚より外側の世界を満たせば寂しさが消えると”思い込んで”。
そう、ぜーんぶ思い込みです。
実際は、生きている限り本当の自分とのつながりが切れるなんて有り得ません(切れる=肉体の死だから)
誰も認めてくれないと”思ってしまう”のは、自分が自分を認めていないから。
誰からも愛されないと”思ってしまう”のは、自分が自分を愛していないから。
「私は今どんな気持ち?」と自身に意識を向けるだけで、瞬時に本当の自分と繋がることが出来ます。そして自分とのつながりを感じられたら寂しさは癒える・・・消えるのでは無く”癒える”がポイントです。
自分が自分の一番の理解者になれば、世間一般で言う”辛い事”は辛いと感じなくなります。捉え方が変わるから。答えはいつも自分の中。皮膚の内側です。
 

お客様の内側が動き出す瞬間が好き。


2023.9.27
蓬屋ではご希望があれば”思考の整理サービス”を行っています。と言ってもただお客様のお話を聴くだけですが、よもぎ蒸しも手伝って、私と会話するうちにご自身の本音がポロポロこぼれ、蒸し終わりが来る頃には頭も心も体もスッキリすることから、有難いことにこのサービス、大好評頂いております。
(もちろん、おひとりで静かに温まりたい方や、お喋りを楽しみたいお二人様でのご予約の際は私は離席しています)
いろんなお客様のお話を伺っていて好きなのが、本音が出る度にエネルギーが変わる瞬間。内側が動き出す瞬間、と私は呼んでいて「命が輝く」「魂が輝く」って比喩ではなく本当なんだ、といちいち感動してしまいます。そしてそうなると体は勝手に良い汗を出し、その人にとって一番良い温まり方になるというわけ。いやー、楽ちん楽ちん♪
クリアな頭だと”考える”が出来るので「なぜ私はわざわざ不幸(自分にとって不快な現実)を選んでるんだろうか」という見方を持てるようになり”悩む”ことが出来なくなります。
自分が不幸を選んでいるんだと認知できれば止めることが出来る。人生って、気付くことが出来ればこっちのものでございます。ちなみに全人口の99%の人間は不幸の認知が無い・または認めないらしいです。そりゃ奪い合いになるよね、幸せの。

 

9月も残りあと少しです。


2023.9.26
10月は来年の縮図。
10月11月12月の3カ月は来年の縮図。
わたしはどちらも信じています。なんにしても被っている10月は鍵!ということで、重要なのが9月の過ごし方。「10月になりました、ハイ豊かな1ヵ月にしましょう」は難しく、いかに前月である9月に手放し・断捨離して整えるか、問題ごとを解決して10月に持ち越さないか、がポイントです。
10月に起きた事はそのまま翌年に反映されるとすると、豊かで満たされた1ヵ月なら、豊かで満たされる2024年に。揉め事に振り回されれば、揉めて振り回される2024年に。どんな1年にするかはもう始まっています。
9月も残すところ数日。まだまだ時間はあります!ずっと処分したかったモノは思い切って処分する。見てみぬふりをしていた人間関係も向き合って視る。後伸ばしにしている問題を片付ける。
全部痛いのは一瞬です。来年1年間苦しむのと どちらがお得か考えてみましょう。
9月29日は中秋の名月です。最強のデトックスパワーに乗りましょう♪ 

 プリキュアで号泣でした。


2023.9.22
先日、長女(22)と一緒に現在公開中の映画《プリキュアオールスターズF》を観てきました。初代プリキュアの時、長女は4才。毎週日曜日の朝8時半からお世話になっていました。2期目くらいまでしか覚えておらず、今現在のプリキュアがどんななのかも分からないので「初代が出たら嬉しいよね~」くらいの気持ちで行ったところ

開始1分で号泣でした・・・

全然知らん子だけ(多分ここ3年くらいの主役達?)の登場なのに涙がハラハラ止まりません。隣を見ると長女も泣いています。なんでしょうね、とにかく胸がいっぱいになってしまって・・・車にハンカチを忘れたのが悔やまれます。これ初代が出たら私収拾つかんかも、と思い途中でトイレに行きトイレットペーパーを少し頂いて戻りました。その後も5期目までくらいの子たちが出る度にうるうるし、初代が出た時は案の定涙腺崩壊でした。あの頃の長女の可愛さや一生懸命に育児してたことが鮮明に思い出されて、映画終了後は目がボヨボヨ。長女は長女で泣きはらして目が真っ赤。二人で大笑いしました。長女は当時そこまでプリキュアが好きでもなく(おしゃれキャットのマリーちゃん派だった)なのに親子でここまで感情が揺れるなんて不思議なもんです。きっとこんな風に自分の知らない自分がたくさんあるんだろうなぁ。生きている間にめいっぱい知りたいです。自分自身のことを。



 

 妥協という我慢。


2023.9.21
妥協することを「大人になったなぁ」とまるで”イイコト”のように捉えていると、いつか暴発します。「私最近、妥協”出来るようになった”んだよね~」「夫婦って結局はどれだけ妥協できるかだよね」「職場で生きるには妥協が必要だって気づいたんだ~」etc。
納得できていないけど、別にそこまでそれがイヤなわけじゃない・・・これ我慢以外のナニモノでもありません。麻痺してしまっているんですよね、我慢に慣れすぎて。妥協して生きていると、不当な扱いを受ける現実を引き寄せます。それは自分が自分に対して不当だから。
「あんたは我慢するのが当然でしょ」「あんたには”このくらい”で丁度いいのよ」を自分でしてるんです。本当はそんなことしたくないのにね。
「でも妥協せず自分を貫くなんて出来ない」「そんなことしたら社会で生きていけなくなる」「関係が破綻する」ここでもエゴ(生存本能)が炸裂!貫くor我慢の二択になってることに気づきましょう。自分はどうしたい?まずそれからです。相手に服従しなくていいんですよ。 

 

幸せになる”為に”生まれてきていませんよ。


2023.9.20
幸せになる為に自分を変えよう!
私達は幸せになる為に生まれてきてるのよ!
・・・”幸せになる為に”って耳触りがいい言葉だから使いやすいんですよね。あと、酔いやすい。自分も酔って相手も酔わせてというビジネスが世の中溢れています。
私達人間が最終的に得たいのは確かに”幸せという状態”です。でもこれ”状態”なんです。豊かさや満足感・安心感に包まれた状態のことを”幸せ”と呼びます。
私達は表現したくてこの地球に生まれてきました。心(感情)の願いを思考を使って「どうやったら叶うか」考え、体を使って行動で自分を表現する。その結果得られるのが”幸せ”です。幸せはただの結果。あとからついてくるモノ。
幸せの為に・幸せになる為に、こう言っている間は必ず何かを犠牲にしています。大体自分が一番大切にしているコトが犠牲になっている。でもエゴ(生存本能)で気づかないようにしてるという・・・。
気付くと都合が悪いからね。


 

分離の世界の”素直”は見えない暴力。


2023.9.19
”周りと上手くやる為の私”と”本当の私”がパッキリ別れている分離の世界。そこで生きていると、言葉の意味合い(定義)が統合の世界とは全く違うことに驚きます。
素直になるって
思ったことを言う事・行動する事
と捉えていましたが、そもそも分離した状態での”思ったこと”って大体恐れからの発想で歪んでいるんです。本心からかは怪しいもんです。
さて、その歪んだ”思ったこと”を言う・行動に移すとどうなるかというと・・・十中八九不快な現実を引き寄せます。「ああ、やっぱり素直になんてならなきゃよかった」というような言葉が脳裏に浮かぶ結果になり、素直になるくらいなら我慢を選ぶ!ということになりがちです。
反対に自信満々で「ワタシ思ったこと何でもすぐ言っちゃうんだよね、素直だから」というのはただ相手を支配したいだけのエゴなので”わがまま”や”自分本位”など思われ、結果ほとんどの場合人が離れていくか、似たような人が寄ってきて利用するかされるかの人間関係を創ります。
どちらにしても分離界の素直は自分か相手が傷つく見えない暴力です。

自分を受容できるようになると、素直になるというのは、自分が自分に対してなんだということに気付きます。統合の世界に於いて素直になるというのは当たり前すぎて、そんな言葉すら出てきません。”なる”ではなく”なっている”状態。ただ在るだけでいい。素直に”なろう”なんて思いつきもしない。
あるものを感じるだけです。 

 帰ろう、エルダーシップ(長老)の時代に。


2023.9.18
もうリーダーシップの時代は終わりです。リーダーがいるということは、階級制=ピラミッド型ということ。上が下からエネルギーを搾取する制度は限界が来ます。エネルギーの一方通行とは崩壊が前提の不自然なシステム。トップはそれを何とか維持しようとしていますが、何かオカシイと気付く人たちが増えてきました。どんな小さなピラミッドでも保つためには”下の人間”が必要ですから大変ですね。
もともと世界はエルダーシップ。エルダーとは長老のこと。それぞれが叡智を分かち合い、繋がって循環していく世界。呼吸と同じ。吐いて(与える)吸う(受け取る)——自然なシステムです。呼吸をするように、自分の叡智を分け与え、だれかの叡智を受け給う。ずーーーーーっと続く循環の理。
でね、”あるがままの自分”でないと”分け与える”が出来ません。となると、受け取るもできません。あるがままの自分って

どんな自分も受け容れる自分、です。

決して”どんな他人も受け容れる”ではありません。”どんな自分も”です。他人は関係ない。自己受容ができてくると自然に他人のことも受け容れられるから。自分の中でダメだと感じている部分をひたすら認めるんです。私は自分の拗ねや傲慢さを見つけては何度も自分に嫌気が差し、こんなだから愛されないんだと自分を責め、それをまた更に受容するという、当時は永遠と感じた作業を繰り返しました。だから言えます。
必ず、軽くなる時は、来ます!
ある時から「うん、傲慢さ、あるね~」「拗ねてるな~」とあるものを、素直にあると何の抵抗もなく認められるようになります。そうなると同じような人とご縁が繋がるんですね。
エルダーシップに溢れた世界(調和の世界)はもう始まっています。


 分離の世界と統合の世界。


2023.9.17
なんて言うと難しく聞こえるかもしれませんが、戦いの世界か調和の世界かというだけ。
戦いって誰と?それは自分自身と、です。周りと上手くやる為・今の生活を維持する為に本当の自分を押し殺す戦いです。外の自分と内側の自分が分離していると荒れた現実を創りだす=戦いの世界に生きることになります。
「自分はどう在りたいのか」そうやって常に自分へ意識を向けると、外側の自分と内側の自分が統合していき、繋がりを感じられると心地の良い現実を創りだす=調和の世界に生きることになります。
 どちらの世界に生きたいですか?と聞かれると大体の人が選ぶのは「調和の世界」だって幸せでいたいもん!
そう。人間って必ず《快》を選ぶようになっているんです。《不快》からは徹底的に遠ざかるように設定されています《生存本能》で。
じゃあなんで調和の世界・自分の内と外が繋がった統合の世界に生きたいと思っているのに、いつまでも戦いの世界に居るのかと言うとそれはメリット(快)があるから。
 戦いの世界に居る間は、いちばん自分が感じたくない《痛み》を感じなくて済む(と思い込んでいる)からです。実際は痛くてたまらないのを別の刺激で誤魔化しているだけなんですけどね。
エゴと言う名の生存本能の仕組みって本当に巧妙です。 

6000人近く蒸してきてミエテきたことは。

2023.9.16
 長くお客様を蒸してきて汗の出方・温まり方でおおよその性質、つまるところ生き方をなんとなく感じるようになりました。大きく分けて、尽くし型・激情型・孤独型・不安型の4つです。(あくまでも蓬屋独自の考え方です)
  本来人間は一人ひとりみんな違うのに、分けようと思えば分類出来ることがオカシナ世の中だと思います。勝手な見解ですが《ルールで出来た世界に生きる》という共通の環境があるからこそ分類ができるんだろうなぁ、と。世界が自由100%であれば、きっとグループに分けるなんて出来ないんじゃなかろうかと思います。 
そんな皆様を蒸していて持っていきたいのは《あるがままの貴女で生きていいんだよ》という世界。その人が抱えている独自の痛み(傷)の先にある”本当の望み”に触れた時、最高の汗の出方・温まり方になるのですが、私とってそれが何よりの喜びです。その瞬間、蓬屋の中がキラキラするんですよ、本当に。みんな赤ちゃんみたいなお顔に戻るのが愛おしくってたまりません!
素直が一番ですね♩

自分を救えるのは自分だけ。

2023.9.13
そして他者(自分以外の存在全て)が必要不可欠。
だれか(なにか)と関わることで感情が動き、自分の内側を観ることが出来る。逆を言えば、自分一人だと自分の内側を観ることが出来ません。いつも色んなお客様の世界観・価値観の分析をしていますが(←ご要望があれば、です)誰一人として同じ”痛み”の人はおらず、本当に私達って皆それぞれチガウんだなぁと感じ入ってしまいます。
私も含め、皆様共通しているのは『外に意識が向いている』ということ。度合いは違えど、現代の人は常にだれか(なにか)にフォーカスしています。いかにそれに気が付き手放せるかで自己受容が決まる、イコール豊かさを引き寄せる度が決まります。
  知識や情報を取り入れても”気づき”は起きません。理解して初めて”気づき”となります。だから自分を救えるのは自分だけ。私はこの命をめいっぱい楽しみたいので、生きている限りたくさん理解(自分を受容)したいと思います。痛みの回避はもったいない!

母子という特殊な関係②

2023.9.12

「もぅやだ!」
そうなった長男をとりあえずタクシーに押し込み目的地に向かいます。車内は終始無言。拗ねた時は放っておくに限る――何年あんたの母親やってると思ってんの、という自分の思考の手前にある感情を探るとなんとも不思議な感覚。それは温かさ!
『こんなの親以外に出せないよね、出先で他の人にこんな一面出したら関係が破綻するわ』
『・・・ああ、そうか、私もお父さんとお母さんに遠慮なく出すもんなぁ・・・そうか、出せる相手ってすごい(関係性)なんだ』
『分かってよ!となんで分かってくれないの!?をぶつけるって”甘えてる”んだ』
長男を通して沸いたのは両親に対する新しい視点でした。温かさの正体は、ただただ『ああそうか、そうだったんだ』という発見できた喜び。
  その後長男とはいつも通り、なんなら本人思い切り楽しんでました。これもまた『すごいよなぁ~謝罪なんてなくても元通りになれる関係って』です。改めて「なにが嫌だったの?」と聞いてみた所「せっかく一人じゃ入らないお店だったからまだ服見たかったのにお母さんがさっさと終わらせるから」という事でした。ひゃー!私はてっきりシャツを着ないといけないのが嫌だったのかと思い込んでいたのでビックリ。本当に人間って自分以外は皆他者。お互いがそれぞれの思い込みで生きてるんだなぁと再確認しました。
距離が近いとすぐ忘れちゃう。そして摩擦が起きて、でも不思議と修復できちゃう摩訶不思議な、特殊な関係”母と子”
お母さんという存在は、拗ねるという体験を心置きなくできる相手。そして私達は死ぬまで誰かの子どもということ。
自分が丸くなるのを感じる度にこの事実をただただ「すごいことだ」と受け容れるようになりました。
子どもたち三人とも、これからも安心して拗ねていいからね。泣こうが喚こうがどんなあんた達も大好きよ!

母子という特殊な関係①

2023.9.12
  長男に会いに行く計画を立てたのは予定より2カ月前。行きたいところがあり「そこ一緒に行く?」と誘ったところ、同意を得たので予約をとるなど準備をしました。もちろん、どんな所なのか、ドレスコードの事だとか細かく本人に説明をして。
  長男はフォーマルな装いが苦手でシャツもジャケットも持っていません。なので行く前に購入すればいいね、と話し長男も納得し当日の朝服を買いに行ったのですが――。「え・・・こんなの(シャツ指して)着ないといけないの?」「えー・・・ハァ・・・」とショップでまさかの難色。
「言ったやん~~わたし~~」と天を仰ぎながらエゴ(思考)がフル回転しているのを実感しました。あー今私どうしたら長男を説得できるか計算しとるなー、とか。買ってあげるんだから文句言うなって思ってるなー、とか。自分の感情を受容しつつ「サマーニットならどう?ゆるくて気持ちいいよ~」「これは?」など感情的にならずに提案すること数十分。なんとかシャツとカーディガンということで落ち着き、無事に購入してタクシー乗り場に着いた途端

「もぅやだ!」

と拗ねを露わにした長男。
即座に思ったのは「親子ってすご!!」でした。
続きます。 

子どもへの執着がなくなると。

2023.9.11

  先日、約半年ぶりに長男に会いに行ってきました。この春県外の専門学校へ進学して一人暮らしを始めた長男のアパートは見事な散らかりようで・・・とりあえず私の寝場所確保の為「片付けていい?」と訊くと快諾だったので到着早々2人で大掃除。床が見えてくると長男も嬉しくなったようで、3度拭きを自ら買って出るなどあっという間に綺麗な部屋になりました。
  2日目の夜のことです。少し前に長女から「親は時々会うくらいが丁度いいわ~」と言われたことを笑い話で話題にした所「うんホントそれ」「掃除とかゴハンとか色々してくれてアレだけど時々が丁度いい」との長男の発言に「そうよなぁ~」と素直に思えた瞬間、子離れが順調な事を感じ嬉しくなりました。私、出来てるんだ!と。
  昔の私なら「は?これだけ仕送りやら色々してあげてるのに何その発言」くらいは軽ーく沸いたことでしょう。以前は「私が言うのは良いけど、子供が言うのはダメ!!」みたいな思考(これも執着心です)があったので。自身の痛みと向き合えなかった頃のお茶目な私を懐かしく思いました。
さて自分の丸さを感じた出来事はまだ続きます。

過去を基準にした生き方は。

2023.9.8
 「あの時あんな目に遭ったけど、そのお陰で今の私があるから感謝している」なんてよく耳にするし、実際私自身も昔はそう思っていた時期がありました。
でもこれ・・・実は言い聞かせと言う名の逃避行動。この考え方で生きていると良くて”今”が最上級。”今以上”の幸せを感じるには難しい人生になります。過去を基準にして生きているから。

あの不幸のお陰で今の幸せがある。
→幸せになるには不幸を体験しなければ
・・・不幸が前提の生き方です。
まず過去のその出来事を”不幸”と捉えていることに気付くこと。事実を事実として捉えたら、幸・不幸はありません。その出来事に自分がどう感じたか、ただそれだけです。
「以前人に裏切られて散々だったけど、それがあったお陰で色々気づけて~~」は手放しましょ♪それを言っている限り、その人生パターンは変わりません。
嫌な思いをしたから魂のレベルが上がった、は
嫌な思いをしないと魂のレベルが上がらない、と同じです。
※ちなみに魂にレベルなんてありません。皆同じ、ただただ光です。

深く傷つく出来事を体験しては「おかげでワタシ大きな気付きがあったの!」とドラマチックに生きなくても、日常で気付きを得て”自分が本当に望む人生”になれるんです。
痛い目に遭って人生大逆転という考え方はもう終わり。
これからは誰もが日々の生活の中で自己受容し、穏やかに自分の世界を愛で満たしていく時代。

さあ、9月はデトックスの月!
手放し・書き換えには最高の一ヵ月です。いつまでその古いプログラム(概念)で生きますか? 

ブログ再スタートです。

2023.9.7
「ブログってもう書かないんですか?」とお客様から言われ続けて約2カ月。書きたいけど世間一般のブログのサイトだと書きたいことを書けない(すぐ削除される)どうしたもんか・・・と思っていた所
「ジンドゥーならブログ機能付いてるよ」と仲間から朗報が。早速ホームページごとお引越ししました!
ん~~~やっぱりパソコンからだと書きやすい。これで好き放題書けます。
楽しみにしてくださっていたお客様皆様、大変お待たせいたしました。また日々感じた事をあれこれ綴っていきたいと思います。よろしくお願いします♩